ジャスティス・ハイは小さなマナー違反より鬱陶しい |
2.次駅が終点なので隣に荷物を置いたら車掌に「席は空けてください」と言われた。
3.子供とボールを投げあっていたら、「公園内はボール禁止です」と言われた。
これらは私がここ何年かのうちに経験した不愉快な出来事である。
まず1.の例だが、自分でやっと聞き取れるほどの音である。しかも言ってきた乗客は2列も離れた客だ。2.は座席指定で終点前の駅で誰も乗らなかったので、もう隣に人が座ることはない。3.はかなり前で、子供が幼稚園の頃である。ミッフィーのゴムボールを2mほど離れて投げあっていただけである。
確かに電車内ではマナーモードで、とはアナウンスされている。座席指定はひと座席のみが占有空間である。公園の規則にボールやバットの使用は禁止と書いてある。
筋は通っているといえる。
だが、考えてもみて欲しい。離れた座席のわずかなビープ音がそんなに耳障りか? 絶対隣に座るはずもない座席を使って誰が迷惑を蒙る? 幼稚園児との目の前でのボール投げで誰かがケガをするなんてありうるか?
このように、小さなルールを持ち出して正義派ぶるのを「ジャスティス・ハイ」などいう。朝日新聞とベネッセが選出した創作時事用語である。自分の正義感に酔ってしまい、他人の些細なことさえも口を挟まずにはいられなくなってしまうのである。ネットにもそういう連中はいっぱいいる。誰かが不祥事を起こすと、ここぞとばかりに叩きまくって鬱憤を晴らすめんどくさい連中である。ネットイナゴとかネット愚民とかネット原住民などと呼ばれているらしい。
最近よく話題にされる「クレーマー」や「モンスター××」などというのもその類似系と言える。
復古型右翼は「権利ばかりを主張する人間が多くなったため」などと言っているが見当違いだ。
多くの場合クレーマーたちは無法なことを主張しているのはなく、自分の主張に分があると思った時、居丈高になって要求がエスカレートしていくのだ。「正しいのは自分だ。だからお前は謝れ、補償しろ」などと強要してくるのはまさに「モンスタージャスティス」状態なのだ。相手をやり込めることに快感を覚えてしまうのだ。
先に紹介した私に対する横柄な正義感をかざす連中もこうした高慢ちきな「モンスタージャスティス」と言える。
誰かの文章を読んだ時、明らかに間違ったことを書いている、または自分の意見と違うことを書かれていると、ついムカッときて書き返してやりたくなることがあるが、少し頭を冷静にしてみたい。それはむきになって返すほどのことなのか?
私も文章を書くときは「モンスタージャスティス」にならないように心掛けたい。