2015年 08月 11日
柴田優呼氏の原爆観を広島、長崎に持ち込むべきか |
SYNODOSに以下の寄稿が載った。
アメリカが創り出した原爆言説――70年にわたる日米共犯関係を直視するために(柴田優呼)
http://synodos.jp/international/14781
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
広島慰霊碑のこの文章はしばしば左右両勢力から批判されてきた。即ち「誰が過ちをしたのか?という主語が抜け落ちているから」というわけだ。曰く、
右派「原爆を落としたのはアメリカだということを明記していないのは自虐的だ」
左派「原爆の責任を明確にしないと、核廃絶にはつながらない」
という主張である。私はこのどちらにも同意できる面はある。
柴田優呼氏はこれについて「日本とアメリカの否定も肯定も決定できない関係を表現している」と解釈している。日本の被害者性は強調しても、戦後同盟国となった加害者としてのアメリカと衝突しないようにしている、そう柴田氏は捉える。
現在の日本を取り巻く状況はまさにその通りだ。伸長著しい中国や、独自の先軍路線をやめない北朝鮮などに対抗していけるのはアメリカとの同盟あってはのこと、ならばこそ今強烈な批判を受けている集団的自衛権などにも話が繋がっている。少なくとも安倍政権、自民党政権はそう考えている。
柴田氏は米国コーネル大学、セント・ジョンズ大学にも在籍していたこともあり、アメリカを一方的に批判したり肩入れしたりする立場でないこともわかるだろう。そんな両国間に立ち、客観的に関係を見ることのできる柴田氏だからこそこうした指摘をしても説得力があるのだ。
だがこの慰霊碑文を作った人はそんなことを考えていたのだろうか? 日本とアメリカは戦後、軍事的な同盟関係にあることを考えて、意図的に主語を抜いたのか?
私はこれについては首肯しかねる。
日本が第二次大戦に参戦したのには様々な経緯があった。無論、日本の植民地支配が原因という加害が原因という面もあったし、アメリカ側に国際連盟を通じて外交面で包囲され、進退窮まったゆえの選択という面もあるだろう。
それと同じように、原爆についてもそこに至るまでに複雑な経緯があったことを考えねばならない。
長崎の被爆者が中学校で「原発よくない」と話し始めたら、校長が遮った
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/02/nagasaki-atomic-bomb_n_7919592.html
ハフィントン・ポストの記事だが、被爆者の体験談の最中、原発や日本の加害責任の話を持ち出したら校長がこれを遮ったというのだ。
原爆というのはそれだけが単独で起きた事件ではない。やはりそこに至るまでの経緯があるのだ。それには当然、日本側の加害も含まれる。被害だけを強調して加害には沈黙を通すことはフェアな姿勢とは思わない。戦争そのものを始めた責任というものもあるだろう。
その結果「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という、主語の抜けた文になったのであろう。戦争は誰かを名指しして悪者にして、それですべて解決という問題ではないことを碑文製作者は理解していた。そのための主語抜けだと私は思う。
アメリカが創り出した原爆言説――70年にわたる日米共犯関係を直視するために(柴田優呼)
http://synodos.jp/international/14781
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
広島慰霊碑のこの文章はしばしば左右両勢力から批判されてきた。即ち「誰が過ちをしたのか?という主語が抜け落ちているから」というわけだ。曰く、
右派「原爆を落としたのはアメリカだということを明記していないのは自虐的だ」
左派「原爆の責任を明確にしないと、核廃絶にはつながらない」
という主張である。私はこのどちらにも同意できる面はある。
柴田優呼氏はこれについて「日本とアメリカの否定も肯定も決定できない関係を表現している」と解釈している。日本の被害者性は強調しても、戦後同盟国となった加害者としてのアメリカと衝突しないようにしている、そう柴田氏は捉える。
現在の日本を取り巻く状況はまさにその通りだ。伸長著しい中国や、独自の先軍路線をやめない北朝鮮などに対抗していけるのはアメリカとの同盟あってはのこと、ならばこそ今強烈な批判を受けている集団的自衛権などにも話が繋がっている。少なくとも安倍政権、自民党政権はそう考えている。
柴田氏は米国コーネル大学、セント・ジョンズ大学にも在籍していたこともあり、アメリカを一方的に批判したり肩入れしたりする立場でないこともわかるだろう。そんな両国間に立ち、客観的に関係を見ることのできる柴田氏だからこそこうした指摘をしても説得力があるのだ。
だがこの慰霊碑文を作った人はそんなことを考えていたのだろうか? 日本とアメリカは戦後、軍事的な同盟関係にあることを考えて、意図的に主語を抜いたのか?
私はこれについては首肯しかねる。
日本が第二次大戦に参戦したのには様々な経緯があった。無論、日本の植民地支配が原因という加害が原因という面もあったし、アメリカ側に国際連盟を通じて外交面で包囲され、進退窮まったゆえの選択という面もあるだろう。
それと同じように、原爆についてもそこに至るまでに複雑な経緯があったことを考えねばならない。
長崎の被爆者が中学校で「原発よくない」と話し始めたら、校長が遮った
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/02/nagasaki-atomic-bomb_n_7919592.html
ハフィントン・ポストの記事だが、被爆者の体験談の最中、原発や日本の加害責任の話を持ち出したら校長がこれを遮ったというのだ。
原爆というのはそれだけが単独で起きた事件ではない。やはりそこに至るまでの経緯があるのだ。それには当然、日本側の加害も含まれる。被害だけを強調して加害には沈黙を通すことはフェアな姿勢とは思わない。戦争そのものを始めた責任というものもあるだろう。
その結果「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という、主語の抜けた文になったのであろう。戦争は誰かを名指しして悪者にして、それですべて解決という問題ではないことを碑文製作者は理解していた。そのための主語抜けだと私は思う。
by leftwing63
| 2015-08-11 17:50
| 社会(歴史)