企業が求める「コミュニケーション能力」という意味不明 |
「コミュニケーション能力」? いったい何の能力なのだろうか? 私にはさっぱりイメージが沸かない。だが2位以下に「主体性」「協調性」「責任感」「創造性」という、比較的具体的な条件が並んでいるのに対し、「コミュニケーション能力」だけはさっぱり意味が通じない。ちなみにこの言葉「広辞苑」にも載っていない。
曖昧模糊とした言葉が、なんとなく日本の企業社会に蔓延しているのが実情である。
「コミュニケーション能力」とは直訳すれば意思伝達力とでもなるが、ならばそう表現すればいいと思うが、どうやら「コミュニケーション能力」にはそれだけでは説明しきれない不可解な範囲があるらしい。
話し上手、聞き上手であることはもちろん、説得力を持つ言葉を使う、社交的である、電話応答や接客が上手い、英語や敬語が使える、空気が読める…どうも「コミュニケーション能力」の中にはこうしたものも含まれるらしい。
飲み会の場での雰囲気作りや、麻雀などの娯楽に参加するのも「コミュニケーション能力」の範疇に入るそうだ。しかしそれが海外などで重要視されているかは疑問だ。彼らなど仕事場にはあくまでもビジネスできているだけで、友達を作りに来ているわけではない。
国際的な競争力が叫ばれている今の時代に、そんな昔の町工場的発想のコミュニケーションが必要な能力として求められているのだろうか?
こうなってくると「コミュニケーション能力」という言葉自体が、単なる言葉遊びのように思えてくる。またこれらの要素をまとめると「波風を立てず、対外的にはうまく姿勢を繕い、個性を表に出さず、上司を立てる」という、事なかれ主義の人間像しか思い浮かんでこなくなる。
ちなみに外国人との交渉になると、相手側から指摘されることの代表として「曖昧な言い方で、結局何を言いたいのかわからない」「言葉の裏を読めとでもいいたげなもの言いをする」と日本人社員は評される。
「コミュニケーション能力」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返す日本企業だが、対外的なコミュニケーションが実際にはまるで取れていない。
実はこれが日本企業の一番の弱点ではないかと思えてくる。「大和魂」と呼ばれていた時代に、日本は五輪などで精神力弱さからプレッシャーに潰され負けていた。そんなイメージが重なる。
結局「コミュニケーション能力」というのは、上司が部下から耳に聞こえのいい言葉を入れてくれることでしかないのかも知れない。
どんな企業でも、いくら愛想よく仲間と付き合おうとも、技術がなければ引き立てられない。この事実を直視して、日本独特の曖昧な「コミュニケーション能力」なる言葉を、もう脱却してはどうかと思う。