2015年 12月 10日
別件逮捕・微罪逮捕の批判もしないマスコミ |
靖国神社で爆発音をさせたと思われる韓国人男性が逮捕された。当の男性は一度韓国に帰国しているが、9日に再来日しているとのことで、この事件への反応自体が過剰すぎると思うが、そんな騒動の最中、わざわざ来日する理由がわからない。だがこの事件とは別の面からこの逮捕を検証してみる。
男性の逮捕容疑は「建造物侵入」だそうである。誰でも入れる神社境内に立ち入ってなぜ「不法侵入」に当たるのかと思ったら、「参拝などの正当な理由がないのに神社に入った」ことが逮捕容疑なのだそうだ。
こんな馬鹿な容疑はないだろう。私も近所の神社や寺の敷地を道路代わりに通過するし、散歩道でもある。これも警察の解釈次第で「不法侵入」にされてしまうのだ。
宗教施設は各人の信教の自由によって扱いが変わる。観光コースに入ってはいるが宗派が違うため参拝はしない、ということもあり得るが、それも解釈次第で「不法侵入」でしょっ引けるのだ。
別件逮捕は冤罪の温床との指摘もあったが、まったく改まる気配はない。
かつてはオウムの時がひどかった。同僚のマンションの駐車場に車を停めただけで「逮捕状自動販売機」の裁判所が令状を出したことで「駐車違反」で逮捕され、起訴されれば有罪率99.9%の「有罪製造器」の裁判所でなんと実刑まで受けた例があった。
姉歯マンション耐震偽装問題では一日に8人もの逮捕者を出したことがあったが、これも詐欺でも建築基準法違反でもなく、容疑は「名義貸し」「粉飾決算」「公正証書原本不実記載」などといった、事件の本質とは何の関係もないものばかりである。
押尾学事件も、ひとつの事件「麻薬取締法違反」で有罪判決を受けたあと、「保護責任者遺棄」という追加された罪で再び有罪になった。これらは一連の事件なのだから、一事不再理のルールに違反している。
本来ならこれらはひとつの事件として起訴されるべきものなのだ。
別件逮捕や微罪逮捕には違法性が高いとされながらも一向になくなる気配がないのは、警察だけの問題ではないように思える。
というのはこうした乱暴な逮捕には「世の中を騒がせた」という社会の空気が後押ししているようにしか思えないからだ。オウムの時など、「相手はオウムなんだから、どんな法の拡大解釈をしてもいいんだ」という社会の空気があったため警察も横暴ができたのだ。そして当時はマスコミもそれを「おかしい」とはまったく言わなかった。
「世間を騒がせた者は、別件・微罪逮捕」も仕方ない、というのなら、それはもう法治主義ではない。完全な人治主義である。日本人は中国が人治主義だと批判するが、自分達の目の前で起きていることが全然わかっていないのではないか?
先の靖国爆発音事件でも、「発火物が他人を負傷させる可能性があった」などと拡大解釈して、どんどん逮捕容疑を変えていくのではないか? そんなことは警察・検察の恣意的な判断でいくらでも工作できるからだ。
日本の別件・微罪逮捕は「反空気罪」である。こうした国に民主主義国家の名は相応しくない。
男性の逮捕容疑は「建造物侵入」だそうである。誰でも入れる神社境内に立ち入ってなぜ「不法侵入」に当たるのかと思ったら、「参拝などの正当な理由がないのに神社に入った」ことが逮捕容疑なのだそうだ。
こんな馬鹿な容疑はないだろう。私も近所の神社や寺の敷地を道路代わりに通過するし、散歩道でもある。これも警察の解釈次第で「不法侵入」にされてしまうのだ。
宗教施設は各人の信教の自由によって扱いが変わる。観光コースに入ってはいるが宗派が違うため参拝はしない、ということもあり得るが、それも解釈次第で「不法侵入」でしょっ引けるのだ。
別件逮捕は冤罪の温床との指摘もあったが、まったく改まる気配はない。
かつてはオウムの時がひどかった。同僚のマンションの駐車場に車を停めただけで「逮捕状自動販売機」の裁判所が令状を出したことで「駐車違反」で逮捕され、起訴されれば有罪率99.9%の「有罪製造器」の裁判所でなんと実刑まで受けた例があった。
姉歯マンション耐震偽装問題では一日に8人もの逮捕者を出したことがあったが、これも詐欺でも建築基準法違反でもなく、容疑は「名義貸し」「粉飾決算」「公正証書原本不実記載」などといった、事件の本質とは何の関係もないものばかりである。
押尾学事件も、ひとつの事件「麻薬取締法違反」で有罪判決を受けたあと、「保護責任者遺棄」という追加された罪で再び有罪になった。これらは一連の事件なのだから、一事不再理のルールに違反している。
本来ならこれらはひとつの事件として起訴されるべきものなのだ。
別件逮捕や微罪逮捕には違法性が高いとされながらも一向になくなる気配がないのは、警察だけの問題ではないように思える。
というのはこうした乱暴な逮捕には「世の中を騒がせた」という社会の空気が後押ししているようにしか思えないからだ。オウムの時など、「相手はオウムなんだから、どんな法の拡大解釈をしてもいいんだ」という社会の空気があったため警察も横暴ができたのだ。そして当時はマスコミもそれを「おかしい」とはまったく言わなかった。
「世間を騒がせた者は、別件・微罪逮捕」も仕方ない、というのなら、それはもう法治主義ではない。完全な人治主義である。日本人は中国が人治主義だと批判するが、自分達の目の前で起きていることが全然わかっていないのではないか?
先の靖国爆発音事件でも、「発火物が他人を負傷させる可能性があった」などと拡大解釈して、どんどん逮捕容疑を変えていくのではないか? そんなことは警察・検察の恣意的な判断でいくらでも工作できるからだ。
日本の別件・微罪逮捕は「反空気罪」である。こうした国に民主主義国家の名は相応しくない。
by leftwing63
| 2015-12-10 09:00
| 社会(治安・法)