学問に関係ないことを持ち込むカルト教団自民党 |
カルト文科相下村博文の時代から大学への君が代斉唱の圧力は続いており、馳浩も極右政権の中でまったくカルト色に染まっているようだ。
この問題に関してこれも極右色の強い松沢成文参院議員は「国旗と国歌を大切にしようと国旗国歌法をつくった。それが国民の気持ちであり、要請だ」などと述べているが、とんでもない大嘘である。
国旗国歌法は日本に国旗国歌が定義づけられていなかったために作られただけの法律で、内容は、
「国旗は日章旗とする」「国歌は君が代とする」
これだけだ。他には何の条文もない。ましてや「国旗国歌を大切にしようとする国民の気持ちであり要請」など、このわずか2文のどこを読めば出てくるのか?
まず馳の卑怯なところは「国立大として運営費交付金が投入されている」と、金を盾にしているところだ。これは暗に「俺が金を出しているんだ。俺の言う通りにしろ!」と恫喝していると取られても仕方のない発言である。
私は元来、日の丸・君が代にはさほど抵抗はない、というかあまり興味がない。
だが学校現場に押しつけられてくる日の丸・君が代には苦々しく思っている。なぜなら、そんなものは、
「学問の世界に何の関係もない」
からだ。それ以上でも以下でもない。歌が君が代でなく東京音頭でも問題は同じことだ。
ところが自民党のカルト極右議員のバカどもは、本来の教育行政のあり方などそっちのけで「卒業式に君が代を!」と、それこそ学校に無関係の自分の主義志向を押しつけてくるのだ。
つまり、最重要課題を無視したまま、独りよがりの趣味に酔っている議員が口を出してくる、これが現在の公立校の姿である。
都会を中心に、多くの小学生がそのまま地元の公立中学には進学せず、私立の中学を目指すのも、生徒や教育問題とは見当違いの問題にうつつを抜かす公立校などを嫌い、純粋に勉学に打ち込める私立を目指すのだろうと考えられる。
ましてや学校はできる限り自治に任せるべきである。岐阜大だって、旧制校歌を歌うのは任意のはずだ。一時期問題になった「君が代を歌わない教師を処分する」というのはまさしく全体主義国家の発想である。
実は北朝鮮のような全体主義国家以外にも国歌斉唱を強制している国がある。それがタイである。国歌を無視して警察にとがめられたタイ人男性が「国歌を強制なんてこんなバカなことをするのはタイだけだ!」と怒っていたそうだが、このままいくと日本も変人国家の仲間入りをしそうである。