2016年 03月 31日
おいおい、今度は演歌を流せと圧力か? |
今月初め、与野党の超党派議員が「日本の伝統文化である演歌を守れ」と杉良太郎氏と会合を持ったそうだ。
すでにあちこちで指摘されているようだが、演歌は日本の伝統文化などではない。
戦前は「演歌」という言葉こそあったが、それは現在イメージされている演歌とはまったく違い、「オッペケペー節」で代表される演説歌のことである。国会議員が応援するという今回のケースとは違い、むしろ政治風刺などが主であった。
現在使われている「演歌」という言葉は、1960年代の中期に歌謡曲の一ジャンルとして定義されたもので、それも「演歌」という名称が定着したのは1970年代の前半である。つまり長く見積もっても半世紀、正確に言えば40年程度の歴史しかない文化なのだ。
つまり半世紀以下の新参文化を「日本の伝統的な文化」とするのもどうかしているが、問題はそのあとである。国会議員たちは「演歌の放送状況をテレビ局などから事情聴取したい」とも述べている。
ちょっと待て! 世の中の流行りものは国会で決めるものではない。確かにテレビが強引に売り込みをして曲をヒットさせたり、芸人を売れっ子にしたりすることはあるが、そういうのは所詮長続きしない。だいたいは忘れ去られるか、一発屋として消えていくのが常である。
現在の音楽シーンが魅力あるものとは思えないが、だがでは演歌ならいいのか、というとこれも首をかしげる。
もし演歌が生まれて50年で消えていくのなら、その程度の流行文化だったという事実として受け入れるしかないのだ。
演歌というのは完全に世代に乗って聴く層が平行シフトしていくジャンルである。現在の60代以下のほとんどの人は演歌にまったく興味がない。興味を持っているのは70代以上だけである。つまり演歌は昔から若い層をターゲットとせずに安易なマーケティングを行ってきたので、若い層への広がりがなかったのだ。
こうなったのは自然の成り行きであるとすれば、演歌はそれを受け入れるしかないのである。ある一定の世代のみにフィットする一時的な文化だったと。
杉氏は「テレビ局はもっと積極的に演歌を流して欲しい」というが、逆である。
まずは演歌の方がヒットしなければならない。ヒットすれば自然とテレビ局も扱うようになる。そのためには変わるべきところは変わっていかねばならない。いつまでも別れだ、酒だ、女だ、連絡船だ、のフレーズに凝り固まっている時ではなかろう。
そして「これのどこが国会議員の仕事だ!?」という違和感は残るし、何より「テレビ局が演歌を流していないと知ったら、流せとでも言うのか?」という警戒感もある。何せ昨今は政治家のテレビ局への圧力など日常茶飯だからだ。
すでにあちこちで指摘されているようだが、演歌は日本の伝統文化などではない。
戦前は「演歌」という言葉こそあったが、それは現在イメージされている演歌とはまったく違い、「オッペケペー節」で代表される演説歌のことである。国会議員が応援するという今回のケースとは違い、むしろ政治風刺などが主であった。
現在使われている「演歌」という言葉は、1960年代の中期に歌謡曲の一ジャンルとして定義されたもので、それも「演歌」という名称が定着したのは1970年代の前半である。つまり長く見積もっても半世紀、正確に言えば40年程度の歴史しかない文化なのだ。
つまり半世紀以下の新参文化を「日本の伝統的な文化」とするのもどうかしているが、問題はそのあとである。国会議員たちは「演歌の放送状況をテレビ局などから事情聴取したい」とも述べている。
ちょっと待て! 世の中の流行りものは国会で決めるものではない。確かにテレビが強引に売り込みをして曲をヒットさせたり、芸人を売れっ子にしたりすることはあるが、そういうのは所詮長続きしない。だいたいは忘れ去られるか、一発屋として消えていくのが常である。
現在の音楽シーンが魅力あるものとは思えないが、だがでは演歌ならいいのか、というとこれも首をかしげる。
もし演歌が生まれて50年で消えていくのなら、その程度の流行文化だったという事実として受け入れるしかないのだ。
演歌というのは完全に世代に乗って聴く層が平行シフトしていくジャンルである。現在の60代以下のほとんどの人は演歌にまったく興味がない。興味を持っているのは70代以上だけである。つまり演歌は昔から若い層をターゲットとせずに安易なマーケティングを行ってきたので、若い層への広がりがなかったのだ。
こうなったのは自然の成り行きであるとすれば、演歌はそれを受け入れるしかないのである。ある一定の世代のみにフィットする一時的な文化だったと。
杉氏は「テレビ局はもっと積極的に演歌を流して欲しい」というが、逆である。
まずは演歌の方がヒットしなければならない。ヒットすれば自然とテレビ局も扱うようになる。そのためには変わるべきところは変わっていかねばならない。いつまでも別れだ、酒だ、女だ、連絡船だ、のフレーズに凝り固まっている時ではなかろう。
そして「これのどこが国会議員の仕事だ!?」という違和感は残るし、何より「テレビ局が演歌を流していないと知ったら、流せとでも言うのか?」という警戒感もある。何せ昨今は政治家のテレビ局への圧力など日常茶飯だからだ。
by leftwing63
| 2016-03-31 09:00
| スポーツ・娯楽