2016年 06月 10日
愚かしいジブリのセクシズム露呈 |
日本を代表するアニメスタジオであるジブリ、宮崎氏をはじめ、左派的なクリエイターも多く存在すると言われているこのスタジオから無邪気な女性蔑視発言が飛び出して海外で批判の的になっている。
これは英国のガーディアンが西村義明プロデューサーを「後継監督に女性は起用しないのか?」と聞かれて答えてしまった本音である。彼はこう答えた。
「女性はより現実的な傾向があり、男性はより理想主義的な傾向がある。ファンタジー映画にはその理想主義的なアプローチが必要である。男性監督が起用されるのは偶然ではない」
日本社会はジェンダー問題に無頓着なところがあり、これが問題視されることを想定もしていなかったと思われる。だが「女性は現実的、男性は理想主義的、だから男性監督を選ぶ」と答えてしまうところに根拠のない男性神話を持っていると指摘されてしまうのだ。
「BUZZAP!」によれば、ウェブメディアのNMEで、「ファンタジー映画監督について女性蔑視発言」と書かれてしまうし、「The Verge」には西村氏の女性観をステレオタイプなBullshit(たわごと)と指摘されてしまっている。
では西村氏の言うように「女性はファンタジーに関しても現実的なので相応しくない」内容の発言がどのように不適切かをみてみることにする。
ジブリがアニメ化した作品の原作を見てみよう。
まず「耳をすませば」と「猫の恩返し」は月島雫という女性作家の原作である。「思い出のマーニー」の原作はジョーン・ゲイル・ロビンソンという英国の女性作家だ。「借りぐらしのアリエッティ」はメアリー・ノートンという英国の女性作家による「床下のこびとたち」を原作としている。
まだある。「魔女の宅急便」の原作者は角野栄子だし、「ハウルの動く城」の原作者はダイアナ・ウィン・ジョーンズという女性作家だ。
そして未熟だった男性監督・宮崎吾朗氏が映像化して散々なものにしてしまった「ゲド戦記」の原作者はアーシュラ・クローバー・ル・グウィンという女性作家なのである。
そしてテレビアニメでも「山賊の娘ローニャ」はアストリッド・リンドグレーンという女性作家の原作なのだ。
むしろ男性作家が原作の作品を示す方が難しいくらいだ。そして以上に挙げた作品はすべて純粋なファンタジー、もしくはファンタジー要素を強く持つ作品なのである。
西村氏の発言は、女性監督のいない理由を「女性はより現実的な傾向」という言葉で逃げようとしたのだが、それが海外メディアの炎上を招いてしまった例であると言える。
しばしば「男性は理性的、女性は情緒的」「男性は理系向き、女性は文系向き」などと言われるが、これらのものに根拠はない。西村氏はそんな“都市伝説”レベルのものを適当に作り上げ、海外メディアに発信してしまった。それが女性蔑視と受け取られることも考えずに。
こうしたステレオタイプな男性女性比較論を持ち込むことについて日本社会はまだまだ甘く、保守的であると言える。だがそれが海外に向けて広まった時、日本の古臭い常識が通用しないことを痛感することとなるだろう。ところでネット愚民の掃きだめヤフーコメント欄では、この発言を女性蔑視とすることに反発する発言で埋め尽くされている。やはりあのコメント欄に出入りする連中の腐れ脳ミソは半世紀も前で停止しているのだろう。
これは英国のガーディアンが西村義明プロデューサーを「後継監督に女性は起用しないのか?」と聞かれて答えてしまった本音である。彼はこう答えた。
「女性はより現実的な傾向があり、男性はより理想主義的な傾向がある。ファンタジー映画にはその理想主義的なアプローチが必要である。男性監督が起用されるのは偶然ではない」
日本社会はジェンダー問題に無頓着なところがあり、これが問題視されることを想定もしていなかったと思われる。だが「女性は現実的、男性は理想主義的、だから男性監督を選ぶ」と答えてしまうところに根拠のない男性神話を持っていると指摘されてしまうのだ。
「BUZZAP!」によれば、ウェブメディアのNMEで、「ファンタジー映画監督について女性蔑視発言」と書かれてしまうし、「The Verge」には西村氏の女性観をステレオタイプなBullshit(たわごと)と指摘されてしまっている。
では西村氏の言うように「女性はファンタジーに関しても現実的なので相応しくない」内容の発言がどのように不適切かをみてみることにする。
ジブリがアニメ化した作品の原作を見てみよう。
まず「耳をすませば」と「猫の恩返し」は月島雫という女性作家の原作である。「思い出のマーニー」の原作はジョーン・ゲイル・ロビンソンという英国の女性作家だ。「借りぐらしのアリエッティ」はメアリー・ノートンという英国の女性作家による「床下のこびとたち」を原作としている。
まだある。「魔女の宅急便」の原作者は角野栄子だし、「ハウルの動く城」の原作者はダイアナ・ウィン・ジョーンズという女性作家だ。
そして未熟だった男性監督・宮崎吾朗氏が映像化して散々なものにしてしまった「ゲド戦記」の原作者はアーシュラ・クローバー・ル・グウィンという女性作家なのである。
そしてテレビアニメでも「山賊の娘ローニャ」はアストリッド・リンドグレーンという女性作家の原作なのだ。
むしろ男性作家が原作の作品を示す方が難しいくらいだ。そして以上に挙げた作品はすべて純粋なファンタジー、もしくはファンタジー要素を強く持つ作品なのである。
西村氏の発言は、女性監督のいない理由を「女性はより現実的な傾向」という言葉で逃げようとしたのだが、それが海外メディアの炎上を招いてしまった例であると言える。
しばしば「男性は理性的、女性は情緒的」「男性は理系向き、女性は文系向き」などと言われるが、これらのものに根拠はない。西村氏はそんな“都市伝説”レベルのものを適当に作り上げ、海外メディアに発信してしまった。それが女性蔑視と受け取られることも考えずに。
こうしたステレオタイプな男性女性比較論を持ち込むことについて日本社会はまだまだ甘く、保守的であると言える。だがそれが海外に向けて広まった時、日本の古臭い常識が通用しないことを痛感することとなるだろう。ところでネット愚民の掃きだめヤフーコメント欄では、この発言を女性蔑視とすることに反発する発言で埋め尽くされている。やはりあのコメント欄に出入りする連中の腐れ脳ミソは半世紀も前で停止しているのだろう。
by leftwing63
| 2016-06-10 09:00
| 社会(差別)