「三矢研究」が示す緊急事態条項の危険 |
というのも、戦後、日本は死者数千から数万という大災害に幾度となく襲われてきたが、その時にも「緊急事態」を宣言しなくてはならないほどの混乱や治安の悪化は発生していないからだ。
むしろ、こうした強権的な行為が容易にできたはずの戦前、関東大震災時に朝鮮人虐殺などの治安崩壊が起きていることを直視すべきだ。
権力機構が強すぎる権限を持つことは、民衆を煽動してファッショ化させてきたのである。
トルコのクーデターがニュースになったが、日本でも1945年に宮城事件(きゅうじょうじけん)が、1961年に三無事件が起きている。いずれも極右によるクーデターである。戦後の日本でクーデターといえるものはこのふたつしか起きていない。
その前段階ともいえるのが1963年の「三矢研究」である。
三矢研究は朝鮮戦争が拡大した時を想定して行われた戦略オペレーションであった。
紛争が拡大した時の対応を平時から考えておくことは悪いことではない。確かに日本の左派はこうした議論を忌避してきた。戦争というのは、こちらから侵略を仕掛けるとか、相手が仕掛けてくるとかのわかりやすい構図ばかりではなく、難民が押し寄せてくるとか、貿易路が断たれるといった間接的な影響もある。
だが三矢研究の危険な点は、その発想が暴走していったところにある。
三矢研究では朝鮮半島での紛争が発展し、米ソ全面対立に至った仮定の話にまで及んでいる。そして全面核戦争を想定しているのだ。
当時は核戦争の脅威が高まっていたこともあったが、それに至る過程で、統幕会議は、クーデターにより国家総動員制度と日本の国土全体に対し米軍・自衛隊の指揮下、戦時立法を確立する―これが三矢研究の根幹であった。
三矢研究は自衛隊制服組によって起案されており、そうした面からもシビリアンコントロールが効くとは到底考えられず、どんなに関係者が言い繕うと、事実上の「軍事クーデター」の研究であった。
安倍は「中国や北朝鮮の軍事的脅威の時代に合わせて憲法を変えねばならない」というが、1960年代当時は冷戦時代であった。互いに核ミサイルを突きつけて睨み合い、1962年には全面核戦争の瀬戸際までいったとされる「キューバ危機」が起きている。この時に全面核戦争が起きていたら、死者は2億とも3億とも推算されている。
そんなとてつもない危機に比べたら、尖閣での睨み合いなど子供の口喧嘩レベルである。あの冷戦時代にすら必要でなかった緊急事態条項を、今作る必要はまったくない。