2016年 09月 25日
相撲の真剣勝負が理解できない |
西序ノ口29枚目の服部桜が秋場所で3度の敗退行為が認定されたらしい。
敗退行為とはなんとも穏やかでない言葉だ。いわば八百長であり、プロ野球なら永久追放になるほどの重罪だ。それでも服部桜は秋場所7戦全敗ながら最後まで出場した。
重罪のはずの敗退行為がなぜ騒がれないのか? どうも相撲の場合、私が思っている敗退行為とは違うらしい。服部桜は首を痛めており、全力でぶつかれないのが敗退行為なのだそうである。
これは普通のスポーツでいうところの敗退行為とはまったく違い、ほかのスポーツでは敗退行為とはわざと負ける八百長のことであるので、これは誤解を招くような表現である。
それとも相撲ではケガをしていても全力でぶつかってさらにケガを重症化させなくては真っ当な取り組みと見られないのだろうか?
昨年の春場所には白鵬が「注文相撲」ということで場内の不興を買い、ブーイングを受けたという。
注文相撲とは相手のぶつかりを真っ向から受け止めず、左右によけながら戦う手法であるという。相撲のコアなファンではない私からしてみると、これのどこがおかしいのか理解できない。
スポーツ競技というのはまず勝利が最大目標である。勝利なくしてはスポーツ本来の面白さなど失われるではないか?
それが、頭の固い相撲協会などはともかく、一般のファンさえ、真正面にぶつからなくてはならないなどと、規則にもないことを要求するのはどこかおかしいとしか思えない。
クソ真面目に相手の攻撃を「横綱らしく」受け止めて、そして負けるのなら、場内のファンは喜ぶかもしれないが、それはコアなファン以外から見れば、むしろ白鵬が勝てるのに勝てる手法を放棄した、それこそ敗退行為ではないか。
アントニオ猪木がモハメド・アリと異種格闘技戦を行ったのは今から40年前の1976年のことだった。猪木はアリのパンチを受けないよう、意表をついて寝転がったままローキックで終始戦い、当時は「世紀の凡戦」と呼ばれた。
だが私はそういう試合にこそ真剣味を感じる。勝つために最善を尽くしたからだ。
日本ハムの大谷投手は時速160kmの速球を投げる。だがその球質はバックスピンが効いておらず棒球に近い。速球ばかりで勝負していてはすぐに打たれてしまうだろう。だが大谷は変化球を取り混ぜて、投球術を駆使して打者を打ち取る。注文相撲がダメだというのなら、大谷に打たれるのを承知で速球だけ投げろというのに等しいのだ。
相撲の世界には八百長疑惑が絶えない。こうした疑惑を払拭することの方が、勝つための当然の手段でしかない戦法にケチをつけるよりよほど大事なことだろう。
八百長も相撲のうち、と居直るのならそれもいいが、それなら相撲などスポーツとは認めないだけだ。
敗退行為とはなんとも穏やかでない言葉だ。いわば八百長であり、プロ野球なら永久追放になるほどの重罪だ。それでも服部桜は秋場所7戦全敗ながら最後まで出場した。
重罪のはずの敗退行為がなぜ騒がれないのか? どうも相撲の場合、私が思っている敗退行為とは違うらしい。服部桜は首を痛めており、全力でぶつかれないのが敗退行為なのだそうである。
これは普通のスポーツでいうところの敗退行為とはまったく違い、ほかのスポーツでは敗退行為とはわざと負ける八百長のことであるので、これは誤解を招くような表現である。
それとも相撲ではケガをしていても全力でぶつかってさらにケガを重症化させなくては真っ当な取り組みと見られないのだろうか?
昨年の春場所には白鵬が「注文相撲」ということで場内の不興を買い、ブーイングを受けたという。
注文相撲とは相手のぶつかりを真っ向から受け止めず、左右によけながら戦う手法であるという。相撲のコアなファンではない私からしてみると、これのどこがおかしいのか理解できない。
スポーツ競技というのはまず勝利が最大目標である。勝利なくしてはスポーツ本来の面白さなど失われるではないか?
それが、頭の固い相撲協会などはともかく、一般のファンさえ、真正面にぶつからなくてはならないなどと、規則にもないことを要求するのはどこかおかしいとしか思えない。
クソ真面目に相手の攻撃を「横綱らしく」受け止めて、そして負けるのなら、場内のファンは喜ぶかもしれないが、それはコアなファン以外から見れば、むしろ白鵬が勝てるのに勝てる手法を放棄した、それこそ敗退行為ではないか。
アントニオ猪木がモハメド・アリと異種格闘技戦を行ったのは今から40年前の1976年のことだった。猪木はアリのパンチを受けないよう、意表をついて寝転がったままローキックで終始戦い、当時は「世紀の凡戦」と呼ばれた。
だが私はそういう試合にこそ真剣味を感じる。勝つために最善を尽くしたからだ。
日本ハムの大谷投手は時速160kmの速球を投げる。だがその球質はバックスピンが効いておらず棒球に近い。速球ばかりで勝負していてはすぐに打たれてしまうだろう。だが大谷は変化球を取り混ぜて、投球術を駆使して打者を打ち取る。注文相撲がダメだというのなら、大谷に打たれるのを承知で速球だけ投げろというのに等しいのだ。
相撲の世界には八百長疑惑が絶えない。こうした疑惑を払拭することの方が、勝つための当然の手段でしかない戦法にケチをつけるよりよほど大事なことだろう。
八百長も相撲のうち、と居直るのならそれもいいが、それなら相撲などスポーツとは認めないだけだ。
by leftwing63
| 2016-09-25 09:00
| スポーツ・娯楽