ノーベル経済学賞など取れなくてもいい |
ノーベル経済学賞を日本人なぜ取れない? 米主流派の系譜・英語力でも差
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161012-00000068-san-cul
日本は分野別でもノーベル経済学賞だけは獲得したことがないと述べ、その理由として、
「米国で論文を積極的に発表している▽その論文を世界の研究者が頻繁に引用している▽功績に追随する人が一派をなしている」
という面を指摘している。
この指摘自体は特に誤りではないが、だからといって今後、日本人がノーベル経済学賞など取る必要はないと思う。なぜならすでに一部の人にとっては常識かも知れないが、ノーベル経済学賞は「ノーベル賞」ではないからだ。
ノーベル経済学賞は「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」が正式な名称で、ゆえに「ノーベルを記念して」作られた賞でしかない。そんな増量もどきの経済学賞など取れなくてもいい。すでに日本人はすべてのジャンルのノーベル賞を取っているのである。
そもそもノーベル経済学賞は非常に長い間、シカゴ学派を優先して賞を与えてきた。シカゴ学派といえばミルトン・フリードマンに代表される新自由主義の流派だ。新自由主義の先駆的存在といえばフリードリヒ・ハイエクであるが、彼も経済学賞を受賞している。70年代にこれらのネオリベ先駆者に賞を与えたことにより、経済がいかに毒されたか、そこを思うとこの賞の持つ意味は負の面で大きい。
経済活動自身からして、資産をより多く持つことを目的とした思想から発達したものなので、どうしてもこうした傾向は避けられない。
ノーベルの子孫からも「経済学賞は世界に貢献していない」とダメ出しをされる有り様である。
もともと経済学というもの自体がきわめて正体の曖昧なもので、物理学とか化学とかとは違い、その貢献度はその後の経済の動向によってはかるしかない。だがブラックマンデーもリーマンショックも予測すらできなかったのが経済学の実情なのだ。
著名な物理学者であるリチャード・ファインマンは「経済学など似非科学の領域だ」と厳しい言葉をぶつけている。
自然科学の研究者や技術者が、緻密なデータを元に理論を組み立てるのと比べると、経済学はまさしく机上の空論のみによって強引に作られたものだ。しかもそこには自然科学の比ではなく、「研究者」の思想が色濃く入り込んでいる。
日本人はすでにすべての分野のノーベル賞を取っている。堂々と胸をはればいい。ノーベルの子孫からして「ノーベルの名を冠することに反対する」などと述べる、そんな賞など取っても何の意味もないし、世界の発展にも幸福にも貢献しない。