2016年 11月 08日
感情論が科学技術を殺す国 |
新しい科学技術などが考案された時にそれをどう受け入れるかは大きな問題である。例えば臓器移植や人工授精などがそうだった。
人工授精は行った時の不利益が、行う時の利益よりはるかに小さいからまだいいが、臓器移植などは微妙である。臓器を提供する人の短い命と受ける側の長い命の重さは比較しにくいためだ。
私はかつて「自動運転は早急には完成しないだろう」との見方を示したが、仮にその技術が導入できるレベルにおいても、特に日本では大きな壁が立ちふさがる。
それが「感情論」である。
もし自動運転車が事故を起こした場合、誰がその責任を取ってくれるのかが問題になる。遺失利益の額によっては億単位の賠償が絡んでくるからだ。
これまでは加害者が一方的に(あるいは過失相殺で)賠償すればよかった。つまり責任を押し付ける対象がはっきりしていたのである。だが自動運転となると判断に困る。メーカーなのか、それとも間違った操作をしたユーザーなのか?
ポケモンGOが配信される時に私は「これは日本人特有の感情論で悪者にされるな」とすぐに思ったものだ。その通り、ポケモンGOによって起きた死亡事故では一宮市長がパフォーマンスまがいの遺族訪問をしたり、規制を求める要請を出したりと、いかにも日本らしい反応となった。
だが冷静に考えれば世界で1億人以上、日本で1,000万人以上がプレイしているアプリでは一定確率で事故が起きるのは当然なのだ。
こうした点で欧米などの先進国は利益衡量によってそのリスクを受け入れるかどうかを決定する。ポケモンGOであればどこの国でも事故は起きているのだろうが、「ポケモンGOによる利益>事故による損失」であれば有効なものとして受け入れるのだ。
その思考訓練ができていない日本ではいざ有名なものが事件や事故を起こすと集団ヒステリーを起こし、テレビで識者が無知丸出しで禁止を叫ぶ。
狂犬病予防接種の例をあげよう。狂犬病は発病すれば致死率が100%に近い危険な病気だ。そのため予防接種にはどの国も力を入れてきた。
イギリスは狂犬病を根絶した国だが、益より害の多くなった時点でさっさと予防接種を任意にしてしまった。これが合理的思考なのだ。
ところが日本ではもう58年間も患者の発生はないのに予防接種が義務となっている。いつまでたっても合理的な頭の切り替えができないのである。
自動運転車にしても同じことだ。自動運転はもし実施できれば機械は交通ルールを意識して破ることはないし、疲れもしないため事故は減るだろう。だがもし年100件の死亡事故が自動運転で起きたとしたら…。
現在では約5,000人も出ている交通事故死が100人になるのだから安全性は確実に高まったことになる。おそらく他の先進国はこれを進歩したものとして受け入れるのだろうが、日本では1/50の事故を感情的に大きく評価してしまい導入が遅れる可能性がある。
科学を進歩させるのに必要なものは熱い情熱と冷静な判断力である。それができない国はいつも一歩遅れ、そしてガラパゴスな環境をもたらすことになる。
人工授精は行った時の不利益が、行う時の利益よりはるかに小さいからまだいいが、臓器移植などは微妙である。臓器を提供する人の短い命と受ける側の長い命の重さは比較しにくいためだ。
私はかつて「自動運転は早急には完成しないだろう」との見方を示したが、仮にその技術が導入できるレベルにおいても、特に日本では大きな壁が立ちふさがる。
それが「感情論」である。
もし自動運転車が事故を起こした場合、誰がその責任を取ってくれるのかが問題になる。遺失利益の額によっては億単位の賠償が絡んでくるからだ。
これまでは加害者が一方的に(あるいは過失相殺で)賠償すればよかった。つまり責任を押し付ける対象がはっきりしていたのである。だが自動運転となると判断に困る。メーカーなのか、それとも間違った操作をしたユーザーなのか?
ポケモンGOが配信される時に私は「これは日本人特有の感情論で悪者にされるな」とすぐに思ったものだ。その通り、ポケモンGOによって起きた死亡事故では一宮市長がパフォーマンスまがいの遺族訪問をしたり、規制を求める要請を出したりと、いかにも日本らしい反応となった。
だが冷静に考えれば世界で1億人以上、日本で1,000万人以上がプレイしているアプリでは一定確率で事故が起きるのは当然なのだ。
こうした点で欧米などの先進国は利益衡量によってそのリスクを受け入れるかどうかを決定する。ポケモンGOであればどこの国でも事故は起きているのだろうが、「ポケモンGOによる利益>事故による損失」であれば有効なものとして受け入れるのだ。
その思考訓練ができていない日本ではいざ有名なものが事件や事故を起こすと集団ヒステリーを起こし、テレビで識者が無知丸出しで禁止を叫ぶ。
狂犬病予防接種の例をあげよう。狂犬病は発病すれば致死率が100%に近い危険な病気だ。そのため予防接種にはどの国も力を入れてきた。
イギリスは狂犬病を根絶した国だが、益より害の多くなった時点でさっさと予防接種を任意にしてしまった。これが合理的思考なのだ。
ところが日本ではもう58年間も患者の発生はないのに予防接種が義務となっている。いつまでたっても合理的な頭の切り替えができないのである。
自動運転車にしても同じことだ。自動運転はもし実施できれば機械は交通ルールを意識して破ることはないし、疲れもしないため事故は減るだろう。だがもし年100件の死亡事故が自動運転で起きたとしたら…。
現在では約5,000人も出ている交通事故死が100人になるのだから安全性は確実に高まったことになる。おそらく他の先進国はこれを進歩したものとして受け入れるのだろうが、日本では1/50の事故を感情的に大きく評価してしまい導入が遅れる可能性がある。
科学を進歩させるのに必要なものは熱い情熱と冷静な判断力である。それができない国はいつも一歩遅れ、そしてガラパゴスな環境をもたらすことになる。
by leftwing63
| 2016-11-08 09:00
| 社会(国民)