2016年 11月 26日
環境をめぐる疑問【酸性雨】 |
今では環境問題といえば「地球温暖化」に集約されてしまっている。そして今から20年ほど前に騒がれた「環境ホルモン」、30年ほど前に騒がれた「酸性雨」問題は、現在ではすっかり話題にのぼらなくなっているようだ。
ここでは「酸性雨」について考えてみよう。
定義によると「酸性雨」とは「pH5.6以下の雨」とされているようだ。
だが地球の大気中には雨に溶け込む硫化物質や炭酸ガスがあり、雨は必ず酸性を示すのだ。そのpHはなんの人為的な汚染もない清浄な空気の場合、5.5~5.6を示す。
そこでpH5.6以下を酸性雨とすることに妥当性はあるかということだ。例をあげれば平均的で正常な血圧が120mmHgだとすると、121mmHgから高血圧となるのか? 違うであろう。どんな平均値にも「揺らぎの幅」というものがあるのだ。平均値から少しでも下回ったら酸性雨などというのは乱暴に過ぎる。
それと雨の酸性度は、強い雨より弱い雨、雨の真っ最中よりも雨の降り始めの時に強く出るのだ。そのpHは5を割るのが普通だという。
しばしば見られる地図上にプロットされた雨のpH分布というものはきわめていい加減なものだ。それは雨が降り始めてすぐのものか、それとも1時間たってからのものか? また雨がまだ0㎜の時か、10㎜降ってからのものか? それすら明記されていない。最も重要な条件が記載されていないのでは資料として価値がない。
さて30年前の酸性雨騒動の時には、今にも森林が枯れ果てる、湖沼では水が酸性化し魚が死に絶えるなどと言われたものだ。だが30年たった現在、そんなことは起きていない。
ちなみに雨水のpHは30年前とほとんど変化はないのだ。日本の偏西風の風上には中国やインドなどの新興工業国がある。30年前とは比較にならないくらいに発展している。それなのになぜ酸性雨がひどくならないのか?
降ってくる雨は酸性だが、湖の水などは中性だ。pHはほとんど7に近い。これは降った雨は時間が経つと酸性成分が揮発して中性に近づくためである。コーラやビールの気が抜ける現象と同じだ。
つまり現在降っている弱酸性の雨などで森林の枯死や湖の死滅など起きるはずはない。植物はそれほど弱くはないし、湖に貯まる前に雨は揮発して中性に近づいてしまう。
不思議なことに被害が出ていない環境破壊(破壊になっていないが)に対して、それを反省したり検証したりということはほとんどなされない。環境ホルモンもそうだし、ダイオキシンの急性毒性についてもそうだ。危険だけ騒いで「実はそれほどでもないんじゃない?」となっても、話題にしなくなるだけで誰も騒ぎの責任をとらないし、沈静化させようともしない。
言い出しっぺは自分の説が間違っていたと思うのなら釈明すべきではないか? これだから煽情的に広まった環境問題は信用できないのだ。
ここでは「酸性雨」について考えてみよう。
定義によると「酸性雨」とは「pH5.6以下の雨」とされているようだ。
だが地球の大気中には雨に溶け込む硫化物質や炭酸ガスがあり、雨は必ず酸性を示すのだ。そのpHはなんの人為的な汚染もない清浄な空気の場合、5.5~5.6を示す。
そこでpH5.6以下を酸性雨とすることに妥当性はあるかということだ。例をあげれば平均的で正常な血圧が120mmHgだとすると、121mmHgから高血圧となるのか? 違うであろう。どんな平均値にも「揺らぎの幅」というものがあるのだ。平均値から少しでも下回ったら酸性雨などというのは乱暴に過ぎる。
それと雨の酸性度は、強い雨より弱い雨、雨の真っ最中よりも雨の降り始めの時に強く出るのだ。そのpHは5を割るのが普通だという。
しばしば見られる地図上にプロットされた雨のpH分布というものはきわめていい加減なものだ。それは雨が降り始めてすぐのものか、それとも1時間たってからのものか? また雨がまだ0㎜の時か、10㎜降ってからのものか? それすら明記されていない。最も重要な条件が記載されていないのでは資料として価値がない。
さて30年前の酸性雨騒動の時には、今にも森林が枯れ果てる、湖沼では水が酸性化し魚が死に絶えるなどと言われたものだ。だが30年たった現在、そんなことは起きていない。
ちなみに雨水のpHは30年前とほとんど変化はないのだ。日本の偏西風の風上には中国やインドなどの新興工業国がある。30年前とは比較にならないくらいに発展している。それなのになぜ酸性雨がひどくならないのか?
降ってくる雨は酸性だが、湖の水などは中性だ。pHはほとんど7に近い。これは降った雨は時間が経つと酸性成分が揮発して中性に近づくためである。コーラやビールの気が抜ける現象と同じだ。
つまり現在降っている弱酸性の雨などで森林の枯死や湖の死滅など起きるはずはない。植物はそれほど弱くはないし、湖に貯まる前に雨は揮発して中性に近づいてしまう。
不思議なことに被害が出ていない環境破壊(破壊になっていないが)に対して、それを反省したり検証したりということはほとんどなされない。環境ホルモンもそうだし、ダイオキシンの急性毒性についてもそうだ。危険だけ騒いで「実はそれほどでもないんじゃない?」となっても、話題にしなくなるだけで誰も騒ぎの責任をとらないし、沈静化させようともしない。
言い出しっぺは自分の説が間違っていたと思うのなら釈明すべきではないか? これだから煽情的に広まった環境問題は信用できないのだ。
by leftwing63
| 2016-11-26 09:00
| 社会(環境・自然)