2017年 02月 22日
中西準子氏の基準軽視を批判する |
豊洲の市場移転問題で、経済学系列とくにネオリベ系のエコノミストやそれに近い思想の各種見識者から「築地はすでに古すぎる。汚染問題があっても移転をすべきだ」との意見を表明しているようだ。
中西準子は「リスク論」を語ることが多く、いわゆる利益衡量を考えるべきだという思想を持っている。これ自体が問題になるわけではない。
そんな中西が最近発言しているのが、「豊洲のヒ素汚染で環境基準の79倍という数字を重視すべき必要はない」というものだ。
環境基準というのは個人差や安全係数を考え、致死量の概ね1/100程度とされる濃度を指定するのが普通だ。これからすれば環境基準の79倍といっても、おそらくは致死量には届いておらず、また人間が土砂や湧水を直接摂取するわけでもないので、すぐに人が死ぬような大きな害があるわけではないだろう。
しかしだからといって「環境基準に振り回されない」などと言いだしたらもう歯止めというものがなくなる。
しばしば批判の対象とされる速度規制だが、60km/hでは事故が起きないなら61km/hにしたらどうか、いや1km/h程度なら大丈夫だろう、62km/h、63km/h―これを言い始めたら基準そのものが意味をなさなくなる。こういう問題はどこかで線引きをして、それ以上は原則的に認めないという基準を作っておかないとその時次第で危険を安全にすり替えたりする工作ができてしまう。
つまり中西の言う「環境基準に振り回されない」というのは「環境基準など自由に変えてよい」さらには「環境基準など必要ない」という極論にたどり着いてしまうのだ。
被曝量にしても毒や公害に対しても、やたらと「すぐに被害が出るわけではない」とばかりに基準を軽視しようとする動きが最近目につく。最近では萩上チキ氏のように脱原発ならすべてデマ・似非科学扱いしたがる者も出始めている。
このような状況下は過去に大きな公害被害対応に遅れがちだった日本の状況を思い出させるものでもある。
基準に達したらすぐに危険とはいえないことはわかっている。だが基準を作っておかないと、危険は野放しになり、被害が出るまで誰も何もしないということになってしまう。
中西の発言には賛同できる面も多いので、この手の軽率な発言には注意してもらいたいものなのだが、中西は池田信夫ともフォーラムを開いており、ただの環境ファシズムへの反対だけでなく、ややネオリベ思想に近い面がある可能性を感じる。これがなんとも嫌な感じを思わせる。
中西準子は「リスク論」を語ることが多く、いわゆる利益衡量を考えるべきだという思想を持っている。これ自体が問題になるわけではない。
そんな中西が最近発言しているのが、「豊洲のヒ素汚染で環境基準の79倍という数字を重視すべき必要はない」というものだ。
環境基準というのは個人差や安全係数を考え、致死量の概ね1/100程度とされる濃度を指定するのが普通だ。これからすれば環境基準の79倍といっても、おそらくは致死量には届いておらず、また人間が土砂や湧水を直接摂取するわけでもないので、すぐに人が死ぬような大きな害があるわけではないだろう。
しかしだからといって「環境基準に振り回されない」などと言いだしたらもう歯止めというものがなくなる。
しばしば批判の対象とされる速度規制だが、60km/hでは事故が起きないなら61km/hにしたらどうか、いや1km/h程度なら大丈夫だろう、62km/h、63km/h―これを言い始めたら基準そのものが意味をなさなくなる。こういう問題はどこかで線引きをして、それ以上は原則的に認めないという基準を作っておかないとその時次第で危険を安全にすり替えたりする工作ができてしまう。
つまり中西の言う「環境基準に振り回されない」というのは「環境基準など自由に変えてよい」さらには「環境基準など必要ない」という極論にたどり着いてしまうのだ。
被曝量にしても毒や公害に対しても、やたらと「すぐに被害が出るわけではない」とばかりに基準を軽視しようとする動きが最近目につく。最近では萩上チキ氏のように脱原発ならすべてデマ・似非科学扱いしたがる者も出始めている。
このような状況下は過去に大きな公害被害対応に遅れがちだった日本の状況を思い出させるものでもある。
基準に達したらすぐに危険とはいえないことはわかっている。だが基準を作っておかないと、危険は野放しになり、被害が出るまで誰も何もしないということになってしまう。
中西の発言には賛同できる面も多いので、この手の軽率な発言には注意してもらいたいものなのだが、中西は池田信夫ともフォーラムを開いており、ただの環境ファシズムへの反対だけでなく、ややネオリベ思想に近い面がある可能性を感じる。これがなんとも嫌な感じを思わせる。
by leftwing63
| 2017-02-22 09:00
| 社会(教育・学問)