2017年 04月 01日
森友学園とキリスト教根本主義 |
このことに触れようかと思っていたところ、
「実はアメリカとそっくりな「森友学園」問題の背景」
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2017/03/post-905.php
で冷泉彰彦氏に考えていたことを先に書かれてしまった。
冷泉氏とは教育現場で競争主義を取るか共存主義を取るかで若干の意見の相違はあるが、この件に関してはほぼ冷泉氏の主張を取り入れても良いと思われる。
森友が小学校認可に過剰なまでの力を入れていたのは金銭的な面ともうひとつは公教育の一部に堂々参入したいと考えていたからだろう。
私の周囲の反応を見ても塚本幼稚園の様子はあまりに異常であり、あの映像に衝撃を受けたという人が多いが、同時にアメリカでのキリスト教根本主義も似たような面がある。
「進化論を教えるなら同時に創造論も教えろ。それが平等な姿勢だ」と主義者が叫ぶのを見ると日本人は異様な感覚を持つ。天気図で予想する手法を習うなら、手相占いも教えろと言うのと同じだと我々は知っているからだ。だが信者はそうは思わない。周囲から見れば狂気のような事柄でも、信者達の耳には届かないのだ。
アメリカの公教育や戦後日本の教育が多様性を求めてきたのはその通りである。がそれが故に「教育方針の多様性」という面に繋がり、きわめて排他的・独善的な思想を植え付ける教育が「多様性」の名の下に認められかけた事実は冷泉氏がいうよりも深刻にうけとめた方が良い。
「多様性」とはあくまでも児童・生徒の価値観の多様性であり、学校が排他的になることを教育基本法は良しとしていない。つまり学校そのものは「多様性」を児童・生徒に与える側であり、ひとつの方向に思想を染めてしまってはまずいのである。森友は児童の多様性とは正反対にある存在だ。
キリスト教思想の強いアメリカでは、信念を持ってこうしたフリースクールに通わせる親が少なくない。ホラー映画「キャリー」の母親は実際にかなりの割合で存在する。
一方、森友の場合は「近くにあったから」「定員に空きがあったから」預けた親が大半であり、教育勅語に心酔して預けた親はわずかである。そのことは25人いたとされる小学校入学希望者が、騒動が始まって5人に減ったという報道からも見て取れる。日本人は右翼的な学校においてもキリスト教根本主義ほど右翼思想に染まってもいないし、基本ノンポリが多い。
それでもあの騒動の中、希望者として残った5人の親はおそらくだが筋金入りの極右国家主義者である。むしろ「5人も残った」ことに驚きすらある。
この割合が増えてきたとき、それは確信犯的に教育基本法すら無視する学校の存在が認められる時である。そんな動きが見えたときにはかなりの危険な事態だと言っていいだろう。
「実はアメリカとそっくりな「森友学園」問題の背景」
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2017/03/post-905.php
で冷泉彰彦氏に考えていたことを先に書かれてしまった。
冷泉氏とは教育現場で競争主義を取るか共存主義を取るかで若干の意見の相違はあるが、この件に関してはほぼ冷泉氏の主張を取り入れても良いと思われる。
森友が小学校認可に過剰なまでの力を入れていたのは金銭的な面ともうひとつは公教育の一部に堂々参入したいと考えていたからだろう。
私の周囲の反応を見ても塚本幼稚園の様子はあまりに異常であり、あの映像に衝撃を受けたという人が多いが、同時にアメリカでのキリスト教根本主義も似たような面がある。
「進化論を教えるなら同時に創造論も教えろ。それが平等な姿勢だ」と主義者が叫ぶのを見ると日本人は異様な感覚を持つ。天気図で予想する手法を習うなら、手相占いも教えろと言うのと同じだと我々は知っているからだ。だが信者はそうは思わない。周囲から見れば狂気のような事柄でも、信者達の耳には届かないのだ。
アメリカの公教育や戦後日本の教育が多様性を求めてきたのはその通りである。がそれが故に「教育方針の多様性」という面に繋がり、きわめて排他的・独善的な思想を植え付ける教育が「多様性」の名の下に認められかけた事実は冷泉氏がいうよりも深刻にうけとめた方が良い。
「多様性」とはあくまでも児童・生徒の価値観の多様性であり、学校が排他的になることを教育基本法は良しとしていない。つまり学校そのものは「多様性」を児童・生徒に与える側であり、ひとつの方向に思想を染めてしまってはまずいのである。森友は児童の多様性とは正反対にある存在だ。
キリスト教思想の強いアメリカでは、信念を持ってこうしたフリースクールに通わせる親が少なくない。ホラー映画「キャリー」の母親は実際にかなりの割合で存在する。
一方、森友の場合は「近くにあったから」「定員に空きがあったから」預けた親が大半であり、教育勅語に心酔して預けた親はわずかである。そのことは25人いたとされる小学校入学希望者が、騒動が始まって5人に減ったという報道からも見て取れる。日本人は右翼的な学校においてもキリスト教根本主義ほど右翼思想に染まってもいないし、基本ノンポリが多い。
それでもあの騒動の中、希望者として残った5人の親はおそらくだが筋金入りの極右国家主義者である。むしろ「5人も残った」ことに驚きすらある。
この割合が増えてきたとき、それは確信犯的に教育基本法すら無視する学校の存在が認められる時である。そんな動きが見えたときにはかなりの危険な事態だと言っていいだろう。
by leftwing63
| 2017-04-01 09:00
| 社会(教育・学問)