【加計疑惑】官僚支配など嘘だった |
「官僚主導から政治主導へ」
まるで日本を動かしているのは官僚で、政治家は御飾りに過ぎないかのように扱われていたが、森友・加計疑惑により、そんなものは幻想であることがはっきりしたと言っていいだろう。言っておくが本心から菅官房長官の言葉を信じている人などほとんどいないだろう。
「政治家からの圧力はあった」
ほぼ誰しもがこれを思っているに違いない。
否定しているのはそれが安倍支持を否定することに繋がるのを恐れている人達だけだ。本心ではクロだと感じているはずだ。
そして前川元次官が感じたもの、それは、
「官僚はその時代の政権の意向に反して行動をすることはできない」
ということであった。
安倍政権は異常だ。これほどまでに疑惑まみれ、強権まみれの首相など見たことがない。そしてさらに異常なのは、こんな前代未聞の政権の支持率が下がらないことである。
つまり政権への支持率さえ高ければ、どんな不祥事を起こしても摘発されないし、官僚など顎で使える存在でしかなかったのだ。これまで日本人はこれを認めようとしなかった。だが安倍政権の姿はそれが事実であることを物語っている。
なぜ政治独裁とも言える状況を認めようとしないのだろうか?
思うにこれは政治家が選挙を経て選ばれているからだろうと思う。政治家を批判することは有権者を批判することに直結する。民主主義の元では選挙は正しい決定でなくてはならない。
一方官僚は資格を得てなるものだ。高級官僚ともなれば一種試験をクリアして入った人達だ。日本では受験秀才を見下そうとする風潮がある。これらが「政治家は民が決めたもの、官僚は試験で合格しただけだから政治家が主導であるべきだ」という世論を作ってきたものと思う。そのカウンターが「官僚主導から政治主導へ」の掛け声だったと言える。
日本はとっくに政治家主導だったのだ(政治主導ではない)。
「忖度」もそのひとつだ。官僚は政治家に逆らってまで仕事はできない。日本が官僚主導主義などという「神話」から脱却し、政治家を健全に批判できる国家になるべきである。