2016年 07月 05日
無駄な健康診断は誰のためにあるのか? |
私の職場における大嫌いなもののひとつが集団検診というやつである。年に2回、血液検査と検尿、胃バリウム撮影、胸部レントゲン、心電図、あとは電子機器類の操作の増加にしたがって、どこの職場でも受診例が増えているVDT検査というものだ。この集団検診は企業が法律で義務づけられており、労働者は拒否ができない。
私ぐらいの年齢になると、そろそろ内臓にもガタが出始めるころで、毎年何かしらの「異常」を指摘される。すると職場は医師による精密検査か健康指導を要求してくる。そして「異常」を指摘されることで不安になり、精密検査を受けに行って、数千円を支払い、そのたびに「異常なし」「特段の治療を必要としない」の繰り返しだ。いい加減、人を不安にさせるのはやめろと言いたくもなる。
特に憂鬱なのが胃バリウム撮影である。先進国では積極的にこの検診を行っている国はもはやないという実情は聞いた人も多いだろう。
胃バリウム撮影では、バリウムによって腸に穿孔が生じ、毎年のように死者が出ている。致命的にならないまでも、これによって体調の異変を訴える人はその数十倍以上はいるだろう。しかも被曝量が半端でなく大きい。一回の検診で約20mSvを被曝するのだ。全身被曝ではないので、広島や福島の被曝量と単純比較できるものではないが、毎年受け続けることによるダメージは計り知れない。
一方では胃バリウム撮影によるがんの発見効率はきわめて曖昧だ。胃バリウム撮影が効果的というのなら、この検査法によって救命された人が、受けない人より有意に高いことが証明されねばならない。胃バリウム撮影でがんを発見しても、自覚症状が出るまで放置した場合と死亡率は変わらないということもあり得るからだ。だがそうした検証が行われたことはない。
「検査はすればするほど病変の発見ができる」
と感覚的にものを言っているだけだ。そしてこの指摘はすでに10年以上も前からなされている。なのに一向に変わる気配がない。この国の医療とはいったい何なのだろう?
今年の3月に読売新聞が報じた記事によると、オックスフォード大の調査では、日本の医療被曝による死者は先進国中最大であるという。以前も述べたように有名大学の言うことだから正しいとは断言できない。だが検査漬けのこの国で、医療被曝が大きいのはどう考えても事実である。
私はこうした疑問に検診に来た技師に問うたことがある。
「職場の集団検診のほとんどは意味がないと聞いたが本当なのか?」
派遣された技師はそれには答えず、「私たちは依頼されたから検査をしているのです」とだけ答えてきた。つまり検査技師もその有用性を答えられないのだ。
厄介なことに国は検査を企業に義務づけているので、拒否ができないことである。拒否すれば「過労死などされては困る」と仕事のラインから外されかねない。被曝も腸穿孔の危険も国に強制されてしまい逃れられないのだ。
企業側も検診の無用さはわかっているようだが、もし仕事中に倒れられた時に、検診を受けさせているという「アリバイ」が欲しいようだ。無駄と危険の無限ループである。
もういい加減、集団検診などやめて任意検診にしてはどうか? そして補助を多く出す。このほうが金銭的にも、また受診する側のストレスにもならない方法である。
私ぐらいの年齢になると、そろそろ内臓にもガタが出始めるころで、毎年何かしらの「異常」を指摘される。すると職場は医師による精密検査か健康指導を要求してくる。そして「異常」を指摘されることで不安になり、精密検査を受けに行って、数千円を支払い、そのたびに「異常なし」「特段の治療を必要としない」の繰り返しだ。いい加減、人を不安にさせるのはやめろと言いたくもなる。
特に憂鬱なのが胃バリウム撮影である。先進国では積極的にこの検診を行っている国はもはやないという実情は聞いた人も多いだろう。
胃バリウム撮影では、バリウムによって腸に穿孔が生じ、毎年のように死者が出ている。致命的にならないまでも、これによって体調の異変を訴える人はその数十倍以上はいるだろう。しかも被曝量が半端でなく大きい。一回の検診で約20mSvを被曝するのだ。全身被曝ではないので、広島や福島の被曝量と単純比較できるものではないが、毎年受け続けることによるダメージは計り知れない。
一方では胃バリウム撮影によるがんの発見効率はきわめて曖昧だ。胃バリウム撮影が効果的というのなら、この検査法によって救命された人が、受けない人より有意に高いことが証明されねばならない。胃バリウム撮影でがんを発見しても、自覚症状が出るまで放置した場合と死亡率は変わらないということもあり得るからだ。だがそうした検証が行われたことはない。
「検査はすればするほど病変の発見ができる」
と感覚的にものを言っているだけだ。そしてこの指摘はすでに10年以上も前からなされている。なのに一向に変わる気配がない。この国の医療とはいったい何なのだろう?
今年の3月に読売新聞が報じた記事によると、オックスフォード大の調査では、日本の医療被曝による死者は先進国中最大であるという。以前も述べたように有名大学の言うことだから正しいとは断言できない。だが検査漬けのこの国で、医療被曝が大きいのはどう考えても事実である。
私はこうした疑問に検診に来た技師に問うたことがある。
「職場の集団検診のほとんどは意味がないと聞いたが本当なのか?」
派遣された技師はそれには答えず、「私たちは依頼されたから検査をしているのです」とだけ答えてきた。つまり検査技師もその有用性を答えられないのだ。
厄介なことに国は検査を企業に義務づけているので、拒否ができないことである。拒否すれば「過労死などされては困る」と仕事のラインから外されかねない。被曝も腸穿孔の危険も国に強制されてしまい逃れられないのだ。
企業側も検診の無用さはわかっているようだが、もし仕事中に倒れられた時に、検診を受けさせているという「アリバイ」が欲しいようだ。無駄と危険の無限ループである。
もういい加減、集団検診などやめて任意検診にしてはどうか? そして補助を多く出す。このほうが金銭的にも、また受診する側のストレスにもならない方法である。
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by leftwing63
| 2016-07-05 09:00
| 社会(労働・福祉)