出版の自由を弾圧するつもりか |
犯罪の前科のあるものは被害者の同意がなければ本の出版を禁止する法整備を自民党に求めたのだ。
元受刑者などが本を書くことに関していろいろな意見があることはわかる。特に金儲けに目がくらんだ出版社が社会の興味を惹いた事件の元受刑者に本を書くように薦めれば、興味本位の大衆によって大きく売れて大儲けということも考えられるからだ。
犯罪という反社会的行為が売名行為となり、いわば焼け太りともいえる現象が起きかねない。
とはいえ、出版の自由まで制限しろという被害者の主張はもはや常軌を逸しており、到底看過できるものではない。
なぜならそんな抑圧を認めてしまうと、政治的な事件で有罪となった人は、政府を批判する出版物も出せなくなるからである。政治家だって不祥事を起こせば本も出せなくなるだろう。戦争犯罪の告白本も出してはいけないことになる。これでは本当に問題にすべき社会の矛盾まで封印してしまう。
ではこの手の「儲け方」を狙う出版社などの商法をどうすれば良いか?
残念ながら妥当な答えはない。ただそんな便乗商法は通用するのは最初だけであり、やがては飽きられていくものだ。
週刊誌などで見られた手口だが、以前はわざと新聞の悪口などを書き、新聞広告欄をそこだけ白抜きにさせて興味をそそり、売上げを伸ばそうとしたことがある。だが最近は見なくなったことをみると、もうその手の商法は通用しなくなったのだろう。同じ手口が続けば読者も飽きるものだ。
それと被害者もいい加減にしたらどうか?
本の出版に不快感を表明するまでは理解できたが、本の出版まで法規制しろなどというのは完全に憲法違反であり、逆に「被害者」という立場を政治的に利用しているのではないか?
被害者だからといって、どんな好き勝手を押しつけていいわけではない。これもまた「焼け太り」のうちである。
過去には永山則夫死刑囚の「無知の涙」、人肉食事件の佐川一政元受刑者の「霧の中」など、過去の犯罪者が書いた本はいくらでもある。それでもこんな過剰反応は起きなかった。今回の被害者だけが異常に過激な言動をしているのだ。
こうした本を出版することには意義もある。なぜ犯罪に走ったか、そんな本人でなければ知らない心の動きが描写されるからだ。これは幾多の学者が犯罪の動機や背景を想像して語るよりはるかに重い。それは社会の共有財産として長い目で見れば犯罪抑止のためにもなるだろう。実際、報道された事件の内容と本人の口から語る真相とは大きく違っていた。こうしたものも闇に埋もれてしまう。
とにかく憲法で認められた出版の自由すら規制しろという被害者はもはや同情の対象ではなく、危険な自由弾圧思想の持ち主だとしか言いようがない。被害者だからといってどんなわがままも言っていいわけではない。
それと同時に、ヒステリックにわめきこの出版をバッシングする集団も不気味である。この世の中は「犯罪者」と「正義」のカテゴリーが分かれているわけではなく、これらは混沌としているのだ。犯罪を「俺たちと無関係の別世界のこと」と正義を振りかざす奴らもまた醜い。