2015年 07月 24日
「噴火ではない」は正しかった |
私は時々先輩左派ブログの逆鱗に触れそうなことを書くが、左派ブログはほぼ毎日見て回っている。
だから同意できそうなときにはそれに関連する記事を書いたりもしている。
「浮遊空間」というリベラル系ブログ・ツイート集がある。
「花・髪切と思考の浮游空間」というのが正式名称のようだ。管理人はこれお・ぷてら氏。そんなぷてら氏が7月21日に以下のようなつぶやきを行った。
『ダブルスタンダードの極みでは。科学性が問われるのに、持ち込むのは、「人心を慮る」を優先するという政治性。あにはからんや、人心は右往左往するばかり。 / “箱根山で火山灰確認 気象庁「噴火だが噴火と呼ばない」:朝日新聞デジタル” htn.to/6TtG7L』
つまりは箱根で21日に「噴火現象と同じの火山灰の放出があったのに、気象庁は噴火としては認めなかった。これは政治的決定であり、科学のダブルスタンダードだ」ということである。
私も当初このツイートを読んで「気象庁よ、お前もか!?」と憤った。「歴史修正主義」なる言葉が広まり、過去の黒歴史を揉み消したり、歪曲したりする行為がしばしば批判の的になるからだ。
今回は気象庁が「科学修正主義」とも言うべき行為を成したのかと思った。科学官庁である気象庁が学問の問題を政治的に歪めたのだとしたら、それは非常に危険なことである。疑似科学の跋扈を招く恐れや学問の自由すら脅かされかねない。そこで朝日新聞の親記事を読んでみたのである。
その結果は、「噴火現象であるが噴火とは記録しない」ということは問題ないとわかった。やはりネット関連の記事はニュースの一次ソースにあたらなければいけないと痛感する。
火山灰の放出の場合、100m以下の飛距離は噴火の記録としては残さないということなのだ。今回の箱根はこの基準にあった。だから「噴火現象であるが噴火とは記録しない」は定義上、間違っていない。
火山噴火の定義はなかなか難しいようだ。新溶岩を出せば文句なしに噴火だが、水蒸気爆発の場合はその規模によって噴火を定義づけるしかないらしい。例えば阿蘇山では噴石や土砂噴出のみの活動の場合、火口縁より高く上がった時を噴火として認めるとある。
こうした定義には異論もあるだろうが、はっきりとした線を引けない現象である以上、どこかで目安としての基準を作るしかない。箱根の場合、その目安の基準に届いていなかったので噴火としては記録されない、それだけのことだった。これはダブルスタンダードにもあたらない。
ただ気象庁の見解にはひとつ同意できない点もある。
それは「現象は噴火だが、住民の不安をあおるなどの防災上の影響もあるので、噴火との表現は適切でない」というコメントをしている点だ。
住民の不安や防災上の影響など、科学的真理に関係ない。堂々と「基準に届かなかったので噴火としては記録に残しません」と述べればいいのである。それが科学だ。
by leftwing63
| 2015-07-24 00:52
| 社会(教育・学問)