「党議拘束」ハト派議員への批判は酷 |
しかしこれを自民党議員に要求するのは無理な話だ。なぜなら自民党という政党は、非常に強い「党議拘束」という強権を発動する政党だからである。
今回ももちろん党議拘束はなされていた。おそらく安保法制には自民党内にも相当数の反対派はいたものと思われるが、それに反旗を翻すことはできない。
実はこの党議拘束、憲法51条に違反するのではないかとの声もある。51条は「国会内での表決について、責任を問われない」とするものだ。だが個人的に思えば、党議拘束は各政党が勝手にやっているルールであり、刑事・民事上の責任を問うわけではないから憲法判断は馴染まないと思う。
例えば違法でない形での会社方針が示されたとする。社員はこれに従わなければならない。「こんな方針は会社のためにならない」と考えたとしても、もちろん個人的にはそれを述べる権利はあるだろうが、公的にはこれを行動に移すことはできない。
これは世界的に見ても普通の形態で、党議拘束をかけないとなれば多数派を形成することが困難な場合も出てくるため、どうしても必要になるからである。
特に今回の場合、自民党は基本的には日米安保維持の立場ではタカ派もハト派も一致している。その程度が違うだけである。
郵政民営化などのように、自民党そのものの存在意義まで問われるような法案であれば造反者も出るだろうが、安保では造反を多数出す問題にはなりにくいのだ。
政党というのは同じ思想の議員が集まってできていると考えがちだが、それが比較的成り立っているのは小政党の共産党と、宗教団体を支持母体とする公明党くらいである。
あとは右から左まで様々な思想信条の議員が集まって政党は構成されている。特に大政党ではその傾向が強い。民主党の極右議員は自民党のハト派議員よりはるかに右翼的な思想を持っている。
前回選挙でほとんど消滅同然になってしまった極右政党の次世代の党だが、たった2人の当選者のうちひとり、園田博之衆院議員はかつて自民党に所属したり、村山社会党政権時には入閣したりと、必ずしも思想は右寄りとは言えない。
こうした状況の下であれば、党議拘束をかけるのもやむを得ないこととなってしまう。
今回の法案では議席の多数が国民意見の多数と一致しない点が明確となった。もし党議拘束がなかったら法案はどうなったであろうか?
ただ情けないハト派議員も多いことは事実である。報道によると河野太郎氏が入閣にあたって脱原発のホームページを削除したという(ただ河野太郎氏は政治的にはリベラルでも経済的にはネオリベ思想が強いので私はもともと信用していない)。原発の是非など党議拘束に関係ないので、個人的に主張すればいいと思うのだが、随分と腰抜けな脱原発派であるなとは感じる。