2015年 11月 26日
自爆テロと特攻は十分に同一視できる |
イスラム国のテロを受けて、しばしば海外ではこうした自爆テロを「カミカゼアタック」と評される。
日本の自称「愛国者」の馬鹿どもは「崇高な特攻隊と、狂信者の自爆テロを同一視するな!」と叫んでいるが、こんな国際的に通用しない妄言を吐くほうがどうかしている。柴山昌彦首相補佐官まで世界が「カミカゼ」と呼んでいることに反発しているようだが、所詮安倍首相の思想的お友達。世界の常識がまるでわかっていない。
世界の常識から見れば特攻隊は狂気めいたカルト的自爆攻撃であり、これを美化するのは日本人のガラパゴスでイカレた神経に過ぎないのだ。
どうも日本人は世界からの評価を過剰なまでに気にするくせに、自国が批判されることには慣れていないようで、すぐに頭に血がのぼったような反論を仕掛ける。
だが特攻隊はいくら美談にしようとしても、それが通じるのはこうした行為にヒーロイズムの劇画的メンタルを持つ者に対してだけであって、世界の見解からすれば、
「好んでであろうが、嫌々であろうが、特攻自体が考えられない愚行」
というのは共通認識である。
佐高信氏によると、知覧の特攻基地を訪れる人はふたつのパターンに分かれるそうだ。
そのひとつは「泣く」パターンであるという。国のために若い命を捧げて散ったその尊い犠牲に対して「泣く」というのである。
そしてもうひとつは「怒る」パターンであるという。理不尽な国に命を捧げよとの思想教化によって無駄死にさせられた若者がいたことに対しての怒りである。
私は過去に、
「反戦映画」を述べるならバーホーベンを見習え
http://superleft.exblog.jp/23573889/
をアップした際に、「この映画を見て『なんて好戦的な映画だ!』と怒る人を出すことができた、それ自体が優れた戦争映画として成り立っているということである」と述べた。
つまりは戦争を美化することなく、堂々と残酷に描いてその中で英雄になったとしても、多くの人が感動などせず「こんな間違った世界など来てはならない」と思わせることこそが最高の反戦映画なのである。感動の涙を流す戦争映画など屁のような存在である。
イスラム国の自爆テロを日本人は「なぜ宗教ごときで命まで投げ出すのかわからない」と述べる人は多いが、自国の特攻隊という歴史的愚行を重ねる人はどれだけいるのか? 世界から見たら同じである。
何度も言う。特攻隊は愚行である。もし泣くならくだらない戦略の犠牲になり、そのまま生きていれば戦後日本復興への力となった本人たちへの無念について泣くべきだ。決して「国のために命を捧げた」ことに泣くべきではない。そんなのはイスラム国の自爆テロとまったく同じなのである。
そして特攻が民間人を巻き込まなかった理由、それはただ単に「そこに民間人がいなかったから」に過ぎない。
日本の自称「愛国者」の馬鹿どもは「崇高な特攻隊と、狂信者の自爆テロを同一視するな!」と叫んでいるが、こんな国際的に通用しない妄言を吐くほうがどうかしている。柴山昌彦首相補佐官まで世界が「カミカゼ」と呼んでいることに反発しているようだが、所詮安倍首相の思想的お友達。世界の常識がまるでわかっていない。
世界の常識から見れば特攻隊は狂気めいたカルト的自爆攻撃であり、これを美化するのは日本人のガラパゴスでイカレた神経に過ぎないのだ。
どうも日本人は世界からの評価を過剰なまでに気にするくせに、自国が批判されることには慣れていないようで、すぐに頭に血がのぼったような反論を仕掛ける。
だが特攻隊はいくら美談にしようとしても、それが通じるのはこうした行為にヒーロイズムの劇画的メンタルを持つ者に対してだけであって、世界の見解からすれば、
「好んでであろうが、嫌々であろうが、特攻自体が考えられない愚行」
というのは共通認識である。
佐高信氏によると、知覧の特攻基地を訪れる人はふたつのパターンに分かれるそうだ。
そのひとつは「泣く」パターンであるという。国のために若い命を捧げて散ったその尊い犠牲に対して「泣く」というのである。
そしてもうひとつは「怒る」パターンであるという。理不尽な国に命を捧げよとの思想教化によって無駄死にさせられた若者がいたことに対しての怒りである。
私は過去に、
「反戦映画」を述べるならバーホーベンを見習え
http://superleft.exblog.jp/23573889/
をアップした際に、「この映画を見て『なんて好戦的な映画だ!』と怒る人を出すことができた、それ自体が優れた戦争映画として成り立っているということである」と述べた。
つまりは戦争を美化することなく、堂々と残酷に描いてその中で英雄になったとしても、多くの人が感動などせず「こんな間違った世界など来てはならない」と思わせることこそが最高の反戦映画なのである。感動の涙を流す戦争映画など屁のような存在である。
イスラム国の自爆テロを日本人は「なぜ宗教ごときで命まで投げ出すのかわからない」と述べる人は多いが、自国の特攻隊という歴史的愚行を重ねる人はどれだけいるのか? 世界から見たら同じである。
何度も言う。特攻隊は愚行である。もし泣くならくだらない戦略の犠牲になり、そのまま生きていれば戦後日本復興への力となった本人たちへの無念について泣くべきだ。決して「国のために命を捧げた」ことに泣くべきではない。そんなのはイスラム国の自爆テロとまったく同じなのである。
そして特攻が民間人を巻き込まなかった理由、それはただ単に「そこに民間人がいなかったから」に過ぎない。
by leftwing63
| 2015-11-26 09:00
| 戦争