横綱が猫だましを使って何が悪い!? |
それはメジャー内になかば公然と存在する「不文律」の存在だ。「本塁打の時にガッツポーズをしない」「大差でのバントや盗塁をしない」などだ。
ガッツポーズにも種類があると思う。勝ち誇るガッツポーズと、自然に出るガッツポーズだ。
中日GMの落合氏が現役時代(中日時代)の打席を見ていた時のことだ。相手バッテリーは大ピンチ、打席に落合氏。ここでバッテリーは工夫した末、落合氏を見逃しの三振に取った。その瞬間にバッテリー2人が同時に小さくガッツポーズをしたのだ。これは落合氏を侮辱したものか? 違うだろう。優秀な打者を打ち取ったことへのガッツポーズであり、同時にそれは落合氏が大打者であることを相手バッテリーが認めたためであったのだ。つまりガッツポーズにも相手へのリスペクトの面がある。
では「大差でのバントや盗塁」についてはどうか?
これが駄目だとなると、打者はただ単に打ちにいくしかなくなる。打力の弱い打者の場合も無策のまま打ちにいかなければならないのか? これは「手抜き」ではないか?
私ならたとえ5点差、10点差ついていようとも、決して相手に手を抜いて欲しくはない。
以前、大差の試合で盗塁を繰り返し、さらなる大差をつけて勝った高校野球の監督に報道陣が「あの作戦は失礼ではないのか?」と問うたことがある。その監督は「手を抜いてプレイすることこそが失礼にあたると考えた」と答えた。
正直5点差で相手が急に小技を使わなくなって得点の機会を潰し、その後に打線が爆発して勝っても嬉しくない。相手が手を抜いてくれたために勝てたようなものだからだ。だから私は自分が(自分のひいきチームが)、不利な条件の時も容赦なく攻撃して欲しい。そうでないと私は「侮辱された」と感じるだろう。
ようやくタイトルの話題である。
白鵬が「猫だまし」を使ったことが賛否を呼んでいる。「横綱にふさわしい戦法ではない」というのだ。
だが猫だましが「小兵しか使ってはいけない戦法」というのなら、すでに勝負開始の時点で同一線上にないことになる。北の湖理事長は白鵬を批判した直後急死してしまったが、それでも死者を鞭打つようだがあえて批判しよう。
「ならばどの力士にも猫だましは禁止すべきだ」
それならフェアな勝負となる。
そもそも猫だましは一瞬、仕掛けた側の力士が無防備になるのでリスキーな戦法でもある。もし失敗したら自分が圧倒的に不利になる危険性を持っているのだ。それなのに「誰々はやってよし、誰々は駄目」などというのは、スポーツの世界ではあり得ないほどおかしな理屈なのだ。
横綱が猫だましを使ってもいいし、主軸打者がスクイズをしてもいい。それが勝利に結びつくと思うのなら行うべきだと思う。それこそが対戦相手に対する敬意ともなるだろう。