ブログ開設移行の傾向をみると… |
そこで今回は今年の締めくくりとして、弱小ブログながらも注目をされた記事をいくつかピックアップしたい。
まず「徴兵制を導入するなら全年齢層を対象にせよ」(6月26日)の注目度が高かった。おそらくは集団的自衛権の容認に対して、徴兵制の危険が現実味を帯びてきたためだろう。若い世代には「経済的徴兵制」への警戒もあったようだ。
7月の記事では「再生可能エネルギーが自然破壊をする?」(7月18日)が意外な注目を浴びた。左派らしくない、環境保護への異論であったことが目を引いたのかも知れない。だが再生可能エネルギーを否定する気は毛頭なく、猫杓子のように一方に暴走すると、環境保護は環境破壊にもなりうるということを述べたかった。
同じく7月では、「ジャスティス・ハイは小さなマナー違反より鬱陶しい」(7月22日)も予想外の注目だった。個人的経験から、小さなことまでやたら正義を振りかざす連中の鬱陶しさ、そうした現象が世の中を息苦しくしていることへの苦言であったが、長い間、ブログ内注目度のトップに居座り続けた。思うに、同じ感じ方をしている人たちが意外に多いためだったのだろうと想像している。
日本社会に鷹揚さがなくなった、なんでも規則、なんでも厳罰という社会への閉塞感をたくさんの人が現実問題として感じているのだと思われる。
8月に入ると「ネットは憎悪を拡散する装置に成り下がったのか?」(8月16日)が非常に多く読まれた。現在でも拾い読みらしき人たちの訪問が多いのが特徴である。ネットの憎悪拡散装置化には本心では嫌気している人が多いことがこれでよくわかった。
なおこの記事で取り上げたgudachan氏であるが、私は氏の地方蔑視・神奈川称賛のような意見には同意できない。だがネットにおけるヘイトへの警戒感ということには同意できる。
「「反対するなら対案を出せ」の欺瞞」(8月10日)も読まれたようだ。SEALDsへの罵倒は各方面からなされていて、その中でも勘違い系の批判に対してのものだ。なんでも「対案厨」というのがいて、馬鹿にされているのだそうだ。何にでも「対案を出せ」と言い出す連中のことらしい。世の中には対案などない意見などいくらでもある。
そして9月、「ニッポンの害人(3)―辛坊治郎」(9月5日)は、「ニッポンの害人」シリーズでも飛び抜けて注目された。テレビ司会者でもあり、その偏向し切った姿勢に憤懣やるかたない思いをしている人が非常に多かったことを示している。
現在でもこのエントリーはしばしば上位に顔を出す。辛坊自身は人気キャスターのつもりかも知れないが、彼を嫌っている人はそれよりずっと多いだろう。
11月の「ハロウィンでもネット中毒は罵倒しかしない」(11月1日)も意外なアクセスを稼いだ。ネット上ではリアルで楽しむ人に怨嗟の言葉を書き連ねる歪んだ連中が多い。まさにそういう連中に眉をひそめる人たちにはフィットしたのではないか。
「経済オンチ民主党とダメ労組「連合」」(10月9日)や、「なぜか表現規制に賛同し始めた一部左派」(12月2日)がアクセスを伸ばしたのは、右派やノンポリからも読まれたからではないか?
「右派ブログと間違えた」か「左派ブログでもこんなことを書かれている」ということで注目を受けた面もありそうだ。
来年は今年ほどのペースでは更新できないかもしれないが、それでもボチボチとは続けていきたい。
少し残念だったのは、私は「民生左派」である。韓国がどうの、アメリカがどうの、というより国民の生活を主体にブログ記事を書いてきたつもりだが、これらがあまり伸びなかったことである。ぜひそんな記事も読んで欲しい。