原発の無秩序な延命に異論を唱える |
日本が原発政策を実際に運用開始したのは1970年代である。そして初期の原発はすでに40年の時を経ようとしている。
原発の寿命は概ね40年としたものだ。これには理由がある。
放射線と呼ばれるものには主に電磁波と粒子線がある。X線やγ線は電磁波、一方α線やβ線は粒子線である。
そして原発では核反応が起きると、中性子が飛び出す。中性子は粒子線なので、いわばごく小さな玉がものすごいスピードで原子炉の壁にぶつかるというものだ。そして壁にぶつかった中性子線はビリヤードのように壁を形作る素粒子を弾き飛ばす。
こうして長い年月の間に原子炉の壁はスポンジのようにスカスカの状態になってしまう。
金属は堅いようだが、実はわずかに塑性を持っていて、いわば粘り気のある物質なのだが、長期間、中性子線を照射されることにより、外に弾き飛ばされた金属の素粒子が抜け落ちていく。こうなると金属は粘性を失い、砂糖菓子のように崩れやすくなる。これが金属の脆性化である。
そのため原子炉の寿命はただ単に「老朽化」という言葉だけでとらえられるものではなく、物質的な劣化が明確に伴うものなのだ。そしてこれは原子炉というものの性質上、避けられない宿命でもある。
ところが、原発の寿命は例外的に長く認められることもある。当初はこれはまさに例外的な対処方法だったが、今政府はこの例外を拡大解釈して老朽化した原発の大半に当てはめようとしている。
もちろん老朽化により廃炉となる原子炉もある。だがそれは出力が小さく、大金をかけて補修してもコスパが見合わない原子炉に限られている。今政府がやろうとしていることは、大出力の原発を基本的に補修して寿命を無理に延ばそうとしているものである。
こうしてなし崩し的に本来廃炉とすべき原発の無理な延命を図ろうとしているのだ。
だが脆性となった金属は、再びその粘り強さを取り戻すことはできない。原子炉の延命策は一時しのぎに過ぎないのだ。これを無制限に拡大解釈をすると、今度は老朽化のうえに自然災害が重なるという最悪のケースで事故がおきかねない。
どこまでもごまかしで通す原発行政はもはや立ち行かないところまで来ている。