2016年 03月 24日
子育て・出産右翼大増殖の異常な社会 |
大阪の再任用寺井寿男・市立茨田北中校長が「女は2人以上子供を生むことは、キャリアを積むことより重要」「子育てが終わってから大学で学びなおせばよい」などという、現実離れした暴言を吐いた。この校長、校門前に旭日旗を飾っているそうで、自分の趣味を学校という公共の場に持ち込む異常な右翼だということも判明した。
だがこの校長は一応「子育ては男女が協力して行うものです」などとは言っているが、ならばどうして同じ発言を男性に対してはしないのか? それは「男は外で働くもの」という先入観に蝕まれているからに違いない。そもそも子育ておよびその後の社会を舐めている。
そして以前にも紹介したが、「保育園落ちた日本死ね」を攻撃し、寺井校長のような異常人物を支持する者もいる。それは平沢勝栄やネトウヨのような発狂極右どもである。このクソどもはネット上で女性に対して読むに耐えない醜悪なヘイトスピーチを垂れ流している。
おおよそ、こいつらは少子化は女性ばかりが努力すべき事柄で、しかも子供を生むためには自分の人生は全て犠牲にすべきと考え、しかも生んだ後は自己責任で育てろ、という身勝手論理ばかりだ。
安倍首相からして当初はこの問題に関して同様の態度だった。右翼といえば、国粋主義的な主張はするが、弱者にも優しいというのが、昭和中期までのイメージだったが、どうも平成の日本の右翼とはエゴイスト集団の塊になったようだ。
そもそも子供を産むとか産まないとかは、他人が格付けして評価すべきものではない。子供を産まない人生を選んだ人もいる。これは個人の判断なので、それに他人が口出しすることは間違いなのだ。
そしてこの手の問題となると必ずしゃしゃり出て、女性や弱者に向かって悪態をつく醜い女がいる。曾野綾子だ。曾野は例によって「保育園落ちた日本死ね」のブログを「自己中」と表現する。相変わらず他人の痛みがわからないどうしようもないババアだ。(なお近日中に曾野はガイジンシリーズで取り上げる予定だ)。
こうした「子供だけは産め。あとの面倒は知らん」というエゴイズムの塊のような連中を「負け犬の遠吠え」で有名になった酒井順子氏は「子育て右翼」と表現する。
3歳までは子供は母親の元で育てろというのも「子育て右翼」の一種だ。世界の潮流からまったく取り残された、前世紀の遺物のような子育て政策でどこまでいけるというのか? 精神論ばかりで少子化が克服できるというのなら誰も苦労はしない。
だがこの校長は一応「子育ては男女が協力して行うものです」などとは言っているが、ならばどうして同じ発言を男性に対してはしないのか? それは「男は外で働くもの」という先入観に蝕まれているからに違いない。そもそも子育ておよびその後の社会を舐めている。
そして以前にも紹介したが、「保育園落ちた日本死ね」を攻撃し、寺井校長のような異常人物を支持する者もいる。それは平沢勝栄やネトウヨのような発狂極右どもである。このクソどもはネット上で女性に対して読むに耐えない醜悪なヘイトスピーチを垂れ流している。
おおよそ、こいつらは少子化は女性ばかりが努力すべき事柄で、しかも子供を生むためには自分の人生は全て犠牲にすべきと考え、しかも生んだ後は自己責任で育てろ、という身勝手論理ばかりだ。
安倍首相からして当初はこの問題に関して同様の態度だった。右翼といえば、国粋主義的な主張はするが、弱者にも優しいというのが、昭和中期までのイメージだったが、どうも平成の日本の右翼とはエゴイスト集団の塊になったようだ。
そもそも子供を産むとか産まないとかは、他人が格付けして評価すべきものではない。子供を産まない人生を選んだ人もいる。これは個人の判断なので、それに他人が口出しすることは間違いなのだ。
そしてこの手の問題となると必ずしゃしゃり出て、女性や弱者に向かって悪態をつく醜い女がいる。曾野綾子だ。曾野は例によって「保育園落ちた日本死ね」のブログを「自己中」と表現する。相変わらず他人の痛みがわからないどうしようもないババアだ。(なお近日中に曾野はガイジンシリーズで取り上げる予定だ)。
こうした「子供だけは産め。あとの面倒は知らん」というエゴイズムの塊のような連中を「負け犬の遠吠え」で有名になった酒井順子氏は「子育て右翼」と表現する。
3歳までは子供は母親の元で育てろというのも「子育て右翼」の一種だ。世界の潮流からまったく取り残された、前世紀の遺物のような子育て政策でどこまでいけるというのか? 精神論ばかりで少子化が克服できるというのなら誰も苦労はしない。
by leftwing63
| 2016-03-24 09:00
| 社会(労働・福祉)