江戸時代は美化できないどころか完全暗黒時代 |
10年ほど前からはネトウヨが一斉に江戸時代を美化しはじめた。「自虐史観から抜け出すべき」などという歪んだ歴史観が、過去の暗黒の歴史から目を背けることは多いにありうるのだが。
まず戦国の世が終わり、江戸時代初期になって日本の人口は増加した。戦乱の世が終わったのだから、ここでの人口増加は当然である。ところがその後、人口は停滞する。江戸中期に2,500万ほどあった人口は、江戸末期においてもほとんど増えていなかった。この時期にはほとんど戦争もなかったのになぜか?
これは都市部、もっといえば江戸での多死短命が顕著だったからである。江戸は元禄の頃には人口が100万にも達したとされる。その多くが地方からの移住者である。
ところが江戸の町の生活環境は劣悪だった。江戸の面積の大半は武家の敷地で、町人はわずか1~2割程度の土地にしか住めなかったのだ。当然人口密度は跳ね上がり、一説によると5~6万人/km^2にも達したという。あまりの過密に、親の身体の下で圧死した乳児すら多かったという。
つまり江戸だけが人口が増えても、全国的には増えなかったのだ。金儲けを期待して環境劣悪な江戸の町に入り、不遇のまま短命で死するということが日常だったのだ。
防災感覚などというものはまるでなく、明暦の大火では10万もの死者を出した(この数値は誇張があるとの説もあるが、それでも少なくとも数万の死者が出たことは確実である)。
200年間に死者1,000人を超える大火だけで地震火災などの二次火災を除いても10回以上もあったのだ。ちなみに明治維新以降は戦争や地震を除けば、1934年の函館大火しかなく、戦後は例がない。
おまけに江戸は超厳罰社会でもあった。小塚原、大和田、鈴ヶ森の江戸三大刑場では設置以来、明治維新までの200年余に実に50万人が刑死している。年間平均すると2,500人だ。死刑が多いことで人権問題とされる中国やイラン、サウジアラビアなどを合計した数よりも、江戸一都市の刑死者のほうが多いのだ。
大まかに言えば金10両以上を盗めば死罪とされた。だいたい100万円くらいだ。現在でも100万盗めばさすがに御赦免とはいかず、起訴はされるだろうが、初犯なら執行猶予も付くだろう。また当時の交通事故は主に大八車によるものだが(地方では馬車・牛車があったが江戸の町では走行不可)、被害者が死ねば、過失であっても死罪があり得る。また荷車が事故を起こせば、加害者はもちろん、荷物を預けた人も処罰されるという理不尽な社会だった。
江戸時代は戦争のない時代だった。だから平和を愛していた時代だった…こんな論調もよく見かける。だがそれは偶然の成せるわざでしかない。当時は欧米列強もまだ極東の日本まで進出までするほどには発達していなかったし、日本も徳川の支配体制が強固で、逆らうすべがなかっただけのことだ。国民も外の世界を知らないことで、反抗の機会を奪われてきたといえる。幕府体制以外を知らないのだから、反逆の姿勢を取りようもない。
はっきり言う。江戸時代は暗黒時代である。当時の庶民がそれを耐え抜いてきただけだ。江戸時代を美化する書物もネットも多く見られるが、同じ状況に置かれたらそのような論者は3日で根を上げるだろう。