2016年 06月 18日
自らを正当化するばかりのマスゴミ |
見たくもないのに、ついテレビをつけると目に入ってしまうのが昼のワイドショーとやらの糞番組だ。そこでバカな識者が「海外にまでセコいって日本語が広まってしまいましたからねえ」と、今までの舛添バッシングで、自分達は正義だと主張するのを見ると吐き気がする。
「セコい」と表現したのはニューヨーク・タイムズであるが、よく見ると海外メディアは舛添バッシングには荷担していない。舛添バッシングを繰りひろげた「日本のマスコミ」の動きを細かに報道していただけである。
海外報道の中心はスキャンダルにまみれた五輪である。電通絡みのワイロ問題を始め、多くの問題が棚ざらしのまま、舛添バッシングに興じたのが日本のマスゴミであるが、考えてみれば舛添は五輪の基本的な計画には関わっていない。
関わったのは森喜朗、および電通と竹田(やんごとなき)一族である。前知事の猪瀬がこれらの問題をどれだけ把握していたのかは不透明だが、舛添は五輪の計画が軌道に乗っている時に知事になっただけである。
いや舛添はむしろ五輪の資金に都の公金を使うのを渋った。「国が立てた計画なのだから、主だった負担は国が負うべきだ」と述べていた。
日本のマスゴミは舛添が五輪の汚辱に無関係であることは知っている。だから五輪の「ご」の字も持ち出さなかった。都の税金を浪費したくない姿勢も伏せた。そうでなければバッシングの材料に不利になるからである。仮に猪瀬バッシングが行われていた2013年末に、五輪の不祥事が露見していれば、マスゴミはこれを叩く材料にしたに違いない。つまりはバッシング食材のつまみ食いだ。
仏大手紙「ルモンド」を訳した内田樹氏のHPを引用してみる。
ルモンドの記事から(内田樹の研究室)http://blog.tatsuru.com/
前半部分では舛添が問題とされた公金の不適切利用などの話題が語られているが、後半部分はむしろこのバッシングによって隠されてしまった日本の恥部についての話題になっている。前半は日本の報道のコピーに過ぎないが、後半はルモンドならではの、自社による見解である。退屈な一般論・建前論しか述べない日本のマスゴミと違い、海外メディアは踏み込んで堂々と記述する。
『メディアが知事問題一色に染まったために、報道された場合に政府にとって不都合ないくつかのニュースが結果的に報道されなかった。知事についての報道の開始は、英紙「ガーディアン」が2013年にブラック・タイディングに対してなされた130万ユーロの資金流入についてのフランス当局の捜査について報じた5月11日と同時期である』
『舛添氏に対する攻撃は「パナマ文書」の暴露とも同時期だった。日本の400の個人名と企業名がそこに言及されているというのに、日本のメディアはこれについてほとんど何も報道していない』
『さらに、舛添事件によって、7月10日の参院選の選挙選のスタートが丸ごと隠蔽された。これはさまざまな批判、とりわけ経済政策の失敗についての批判を回避しようとしていた政府にとってはまことに好都合なことだった』
これは明らかに舛添バッシングに血道を上げて、追求するべき問題を(あるいは意図的にか)追求しなかった日本マスゴミの恥部を明らかにしているのだ。
私は今までネット愚民が使いたがる「マスゴミ」の隠語を避けてきた。だがこの舛添バッシングと、それによる巨悪の隠蔽には「マスゴミ」の言葉は相応しいとしか言いようがない。自分の意に沿った「セコい」の単語を海外メディアが報じた…そんなどうでもいいことしか自分達の正当化に繋げられないマスゴミはこうして文字にするのも汚らわしい。
「セコい」と表現したのはニューヨーク・タイムズであるが、よく見ると海外メディアは舛添バッシングには荷担していない。舛添バッシングを繰りひろげた「日本のマスコミ」の動きを細かに報道していただけである。
海外報道の中心はスキャンダルにまみれた五輪である。電通絡みのワイロ問題を始め、多くの問題が棚ざらしのまま、舛添バッシングに興じたのが日本のマスゴミであるが、考えてみれば舛添は五輪の基本的な計画には関わっていない。
関わったのは森喜朗、および電通と竹田(やんごとなき)一族である。前知事の猪瀬がこれらの問題をどれだけ把握していたのかは不透明だが、舛添は五輪の計画が軌道に乗っている時に知事になっただけである。
いや舛添はむしろ五輪の資金に都の公金を使うのを渋った。「国が立てた計画なのだから、主だった負担は国が負うべきだ」と述べていた。
日本のマスゴミは舛添が五輪の汚辱に無関係であることは知っている。だから五輪の「ご」の字も持ち出さなかった。都の税金を浪費したくない姿勢も伏せた。そうでなければバッシングの材料に不利になるからである。仮に猪瀬バッシングが行われていた2013年末に、五輪の不祥事が露見していれば、マスゴミはこれを叩く材料にしたに違いない。つまりはバッシング食材のつまみ食いだ。
仏大手紙「ルモンド」を訳した内田樹氏のHPを引用してみる。
ルモンドの記事から(内田樹の研究室)http://blog.tatsuru.com/
前半部分では舛添が問題とされた公金の不適切利用などの話題が語られているが、後半部分はむしろこのバッシングによって隠されてしまった日本の恥部についての話題になっている。前半は日本の報道のコピーに過ぎないが、後半はルモンドならではの、自社による見解である。退屈な一般論・建前論しか述べない日本のマスゴミと違い、海外メディアは踏み込んで堂々と記述する。
『メディアが知事問題一色に染まったために、報道された場合に政府にとって不都合ないくつかのニュースが結果的に報道されなかった。知事についての報道の開始は、英紙「ガーディアン」が2013年にブラック・タイディングに対してなされた130万ユーロの資金流入についてのフランス当局の捜査について報じた5月11日と同時期である』
『舛添氏に対する攻撃は「パナマ文書」の暴露とも同時期だった。日本の400の個人名と企業名がそこに言及されているというのに、日本のメディアはこれについてほとんど何も報道していない』
『さらに、舛添事件によって、7月10日の参院選の選挙選のスタートが丸ごと隠蔽された。これはさまざまな批判、とりわけ経済政策の失敗についての批判を回避しようとしていた政府にとってはまことに好都合なことだった』
これは明らかに舛添バッシングに血道を上げて、追求するべき問題を(あるいは意図的にか)追求しなかった日本マスゴミの恥部を明らかにしているのだ。
私は今までネット愚民が使いたがる「マスゴミ」の隠語を避けてきた。だがこの舛添バッシングと、それによる巨悪の隠蔽には「マスゴミ」の言葉は相応しいとしか言いようがない。自分の意に沿った「セコい」の単語を海外メディアが報じた…そんなどうでもいいことしか自分達の正当化に繋げられないマスゴミはこうして文字にするのも汚らわしい。
by leftwing63
| 2016-06-18 09:00
| メディア