2016年 11月 15日
地方の衰退は過疎よりも車社会によるもの |
しばしば語られる「大都市圏の集約により地方は衰退している。人口は吸い取られ過疎によって限界集落も増えている」というのは一面では正しいが、その根本的な原因を間違えている。
地方が衰退しつつあるのはモータリゼーションの発達によるものである。つまり車社会化が進んだことが地方の衰退の最大の原因であり、人口が増えていても地方都市は概ね衰退しているのが現実だ。
青森市や富山市はわずかながら市域の人口は増えているが、中心街は寂れ続けている。富山市など路面電車を走らせ、利用者数も多いがそれでも中心街の衰退は止まらない。富山駅前は10年前にもかなり閑散としていたが、新幹線が通った現在でもさらに寂れた感がある。
富山市のDID(人口集中地区)の人口密度は4,000人台で、これは人口100万級の政令都市の半分程度である。つまり富山市の人口増加は中心部ではなく、周辺で起きているのだ。市街地はどんどん肥大化しているが、市街地そのものがスカスカの骨粗鬆症状態になりつつある。
ここで海外の都市をみてみると、都市の中心まで車を呼び寄せるような都市計画をとっている例は少ない。曜日ごとに車の流入を制限したり、もとより車が入りにくい町づくりをしているのだ。これには批判する人もいるが、都市が都市らしい賑わいを守っているのは確かである。
それと都市開発に関する制限も多い。以前、「規制大好き日本」といった記事もアップしたが(日本のお家芸たる「過剰反応」) 、それは個人の判断や責任に任せるべきところまでお上が口を出す体質、また国民も規制を求める感情論体質に対してであり、都市開発のような公的な広い意味での規制に対しては海外の方が強いのである。
海外の大都市は非常に美しく感じられることが多いが、それは高層建物はその建築できる地域がかなり決められているからだ。ニューヨークや香港、上海などの超高層ビルが林立している都市も、よくみるとビルが立ち並んでいる地域は決まっており、住宅街に突然高層ビルがニョキっと建っているケースは少ない。
一方、日本では疲弊していない東京においても都市景観はいいとは言えない。あちこちに無秩序に高層ビルが建つ様は、水田の中から突然そそり立つ雑草のようだ。
東京は公共交通が発達しているからいいが、地方都市はかつての政治家による道路行政への介入により、やたら広い道路ばかり作ったため、車が増え続けている。だが憲法で財産権や居住の自由が認められている以上、これを制限することはできない。
ではどうすればいいか?
中心街に集積することでメリットが生ずるような政策をとるしかない。道路族議員というのが発言力を持つ日本では難しいだろうが、あえて中心街に車が入りにくくして、その上で行政サービスの充実をすることで人を呼び寄せるしかないだろう。つまりは中心街に住んだ方が有利と思わせる政策を行政側が提示するのである。
地方都市は固定資産税で保っているところも多い。中心街に住む人は高い地価を持つため固定資産税も割高になる。だが行政サービスは郊外の人と同じでは中心街の人が割を食ってしまう。その状態を解決させるのが重要だ。
地方が衰退しつつあるのはモータリゼーションの発達によるものである。つまり車社会化が進んだことが地方の衰退の最大の原因であり、人口が増えていても地方都市は概ね衰退しているのが現実だ。
青森市や富山市はわずかながら市域の人口は増えているが、中心街は寂れ続けている。富山市など路面電車を走らせ、利用者数も多いがそれでも中心街の衰退は止まらない。富山駅前は10年前にもかなり閑散としていたが、新幹線が通った現在でもさらに寂れた感がある。
富山市のDID(人口集中地区)の人口密度は4,000人台で、これは人口100万級の政令都市の半分程度である。つまり富山市の人口増加は中心部ではなく、周辺で起きているのだ。市街地はどんどん肥大化しているが、市街地そのものがスカスカの骨粗鬆症状態になりつつある。
ここで海外の都市をみてみると、都市の中心まで車を呼び寄せるような都市計画をとっている例は少ない。曜日ごとに車の流入を制限したり、もとより車が入りにくい町づくりをしているのだ。これには批判する人もいるが、都市が都市らしい賑わいを守っているのは確かである。
それと都市開発に関する制限も多い。以前、「規制大好き日本」といった記事もアップしたが(日本のお家芸たる「過剰反応」) 、それは個人の判断や責任に任せるべきところまでお上が口を出す体質、また国民も規制を求める感情論体質に対してであり、都市開発のような公的な広い意味での規制に対しては海外の方が強いのである。
海外の大都市は非常に美しく感じられることが多いが、それは高層建物はその建築できる地域がかなり決められているからだ。ニューヨークや香港、上海などの超高層ビルが林立している都市も、よくみるとビルが立ち並んでいる地域は決まっており、住宅街に突然高層ビルがニョキっと建っているケースは少ない。
一方、日本では疲弊していない東京においても都市景観はいいとは言えない。あちこちに無秩序に高層ビルが建つ様は、水田の中から突然そそり立つ雑草のようだ。
東京は公共交通が発達しているからいいが、地方都市はかつての政治家による道路行政への介入により、やたら広い道路ばかり作ったため、車が増え続けている。だが憲法で財産権や居住の自由が認められている以上、これを制限することはできない。
ではどうすればいいか?
中心街に集積することでメリットが生ずるような政策をとるしかない。道路族議員というのが発言力を持つ日本では難しいだろうが、あえて中心街に車が入りにくくして、その上で行政サービスの充実をすることで人を呼び寄せるしかないだろう。つまりは中心街に住んだ方が有利と思わせる政策を行政側が提示するのである。
地方都市は固定資産税で保っているところも多い。中心街に住む人は高い地価を持つため固定資産税も割高になる。だが行政サービスは郊外の人と同じでは中心街の人が割を食ってしまう。その状態を解決させるのが重要だ。
by leftwing63
| 2016-11-15 09:00
| 社会(都市・交通)