デマが国を動かしてしまった中ノ鳥島 |
その理由はさまざまで、航海者の誤認から、他の島との混同、さらには虚偽の報告に至るまであらゆる例が存在する。
ここで取り上げる「中ノ鳥島」はどうも最後の例に属するもののようだ。中ノ鳥島については「望夢楼・幻想諸島航海記」に詳しいのでここを参考にされたい。
中ノ鳥島(なかのとりしま)海図から消された日本最東端の孤島
http://boumurou.world.coocan.jp/island/01/ganges.html
中ノ鳥島は南鳥島の北方に存在したと、山田禎三郎が1907年に発見を発表した幻の島である。
しかしながらこの話は端緒からしておかしすぎる。まず地形的にここは海洋底のど真ん中であり、サイトの図にもあるように周辺海域の水深は6000メートル近い。もし私が幽霊島をでっちあげるとするならば、珊瑚礁など水深の浅い海を指定するだろう。
しかも不思議なことは大正年間に海軍省が実地調査を行い、その水深をかなり正確に把握していながら中ノ鳥島の存在は「疑わしい」とされながらも消されていないことだ。
山田禎三郎が島の測量を行ったなどという主張も怪しいこととなる。また別の島を中ノ鳥島と間違ったとするのも無理がある。測量した中ノ鳥島に似た島はこの海域数千km以内には存在しないからだ。
となればこの島の発見報告の最も考えられる理由は「詐欺」である。当時は鳥島などの開発で大金をせしめた者も多く、こうした話に便乗したでっちあげと考えるのが妥当だろう。
山田禎三郎の素性はその後の「その3」で語られている。山田禎三郎(1871-1930)は長野県諏訪郡長地村東堀生まれ…、のくだりであるが千葉県で校長をやっていたり、茨城県だったりとまちまちな情報だ。ただ1912年に選挙に立候補して当選したとあるからそれなりの地位を持っていたことがわかる。そんな人物がこれほど稚拙な詐欺話をでっちあげるというのも不自然な話だ。
そののち山田は真の発見者ではなく、伝聞を通報して話を作り上げたのでは、という展開にもなっている。どちらにしても島の素性そっちのけでいい加減だ。
それにしてもこんな怪しげな島を日本政府はどうして認知してしまったのだろう? どうやら政府は通報から6年後にはもうこの島の存在を怪しいものと見ていたようだ。
なお中ノ鳥島が正式に海図・地図から削除されたのはなんと戦後のことである。