退職金20円、ポピュリズム蔓延の危険 |
日本人は節約とか報酬返上とかの言葉が大好きだ。他人が報酬を減らされると大喜びする。ましてや政治家や公務員の報酬を減額すると大喝采だ。
だがこんな社会は歪だ。
どんな労働にも相応の報酬というものが存在する。市長ともなればその重責は大変なものだろうし、河村ネオリベポピュリズム市長によって議員報酬と調査費を減額された名古屋市議会議員は自身の学資保険を取り崩してまで議員活動を続けた人もいるという。
トランプ大統領は公約で、大統領になったら報酬も手当もいらないと宣言した。だがそれは大富豪しか大統領になれないということを示すもので、アメリカン・ドリームの国に似合わない。
「欧州では低い報酬で議員活動をしている国もあるではないか?」
確かに欧州の議員の報酬は低い。だが欧州では議員になるハードルが低いのだ。日本で立候補の重荷となる供託金も存在しないか、手数料程度で圧倒的に低い。そして何より現職の仕事を辞めなくてはならないということもない。
公務員が立候補した時は、多くの国では議員時代が終わればまた復職できるのだ。だから比較的低い報酬でも議員になろうとする人も出てくる。
だが日本では議員になるためには公務員は辞職しなくてはならないし、多くの会社員も辞職することが求められる。だから日本の議員には会社経営とか会社勤めでも役員待遇という人が多いのだ。
つまり給与1円、退職金20円などという人気取りが蔓延すると富裕層しか議員になれなくなり、一般市民の政治参加が阻害されるのだ。
ことは100円均一店と同じだ。誰かが犠牲になって成り立つ社会などろくなものではない。社会を維持するためには必要な報酬は支払い、それが当たり前の社会にならないと不健全なポピュリズムに支配されてしまうことになる。