改正は必要に応じて行われるべきもの |
オフサイドの規定の変更などもあったが、とりわけ注目したのは、スイッチ投手とスイッチ打者が対決したときだ。投手が右投げしようとすれば打者は左打席に入り、左投げしようとすれば右打席に入る。このイタチごっこが繰り返されて試合がちっとも進まない。
そこでルールが決められ、投手の最終決定が優先されるということとなった。
法律も似たような面があり、今までになかったような犯罪や人権問題が起きるとそれに対応する法整備をする必要が出てくる。女性の再婚禁止規定が最高裁で違憲とされたため、現在法整備が進められている。過去の尊属殺人もそうだった。
このように法というのは、必要に応じて決められるもののはずだ。
安倍首相は2020年の改憲を目標としているとメディアが伝えた。なんでも9条に自衛隊の存在を記載したいということ、もうひとつが高校教育までの無償化を記載したいということだった。
だがこれらは現状の憲法解釈で十分可能な話であり、新たに憲法に盛り込む必要はない。国境の警備まで9条は禁じていないし、義務教育は無償であるといっても、それ以外に無償にしてはならないという規定はない。
つまりは安倍のいう改憲の目標というのは必要でもないことを国民の反発が少なそうなところから無理矢理変えていきたいという個人的な好み以外の何ものでもないことなのだ。
それに個人の嗜好で変えられた法律は、その人物が権力の座から降りたときにどのように適用されるかわからないことも不安のひとつだ。
共謀罪などもその時々の政権の姿勢で、タカ派の政権時には権力批判が弾圧される圧政になる恐れもあるし、また現在の野党が政権に付いたときには、まったく正反対の適用をされる可能性もある。
憲法よりも変えるべき法律はいくらでもある。そのことには無視を決め込んでおいて、自分のイデオロギー発露たる憲法改正のみに血道を上げる安倍政権。いつまでこの国の有権者はこの人物を支持するのだろう?
「ほかに適当な人がいないし…」
などという自己正当化の論調はもう通用しないほど権力の私物化は進んでいるのだ。