最終的には登山はやはり自己責任 |
だが私に言わせればこれは無理筋の話だ。山岳遭難は救助を怠ったなどの特殊な状況でない限り、高度の自己責任を伴う。
これをはっきり書いたのは昨年8月の毎日新聞だった。
毎日新聞大阪版は、
『御嶽山被災ガイド 「自己責任の覚悟」提言 山で死なせたくない』
という記事を載せた。語っているのは山岳ガイドO氏だ。
「山に100%の安全などない。登山者は、自分の命を自分で守る『自己責任』の覚悟が必要だ」
とO氏は説く。ガイドという登山者側に立った人の相当に厳しい発言は時に反発を呼んだらしい。「間違っている」と非難されたり、「ガイド中に客を見捨てて逃げた」と誤解され中傷されたりもしたそうだ。「100%安全ではない場所に自分の意思で来ているなら、そこで起こることはすべて自分の責任」その言葉は犠牲者に辛辣にうつる。
私も若い頃は剣や槍、穂高などに登った。だが「遭難したらそれは自分の責任」という大前提は持っていた。当時はなんでもかんでも訴訟ということもなかったためか、なだれ注意報が出ていなくても、なだれの危険を100%否定できるわけではないことも承知していたように思う。
逆に言えば、俗世間から離れ、山という非日常の領域に入った時点で、すでに「誰かに守られている」という思いは捨てなくてはならない。
登山はボランティア活動ではない。完全に個人的な嗜好の行為なのだ。ならば結果的にそれが事故に繋がっても第一次的な責任は登山者にある。
「グランドキャニオンに柵はなかった」と言ったのは小沢一郎だったか。
これが経済的な自己責任に結びつけられてしまったのは本心ではなかったのかも知れないが、少なくとも登山とは重なる部分はある。
いつの間にか日本人は「危険は国が知らせてくれるもの」という過大な期待を抱いてしまっているようだ。
危険予知をするために国は努力はする。だが万能ではない。それを考えて危険を伴う行動の自己決定をすべきだと思う。