日本ドラマに見える異常な実態 |
ところが日本という社会ではこれが異常な形で評価されているのだ。
それが何かというと、出演しているメンバーの重要度として評価されている点だ。有名女優を使って視聴率を稼げなければ「○○神話の崩壊」などと言われる。製作側の力量が問われるのはジブリのアニメぐらいのものだ。
これは日本の映画やドラマが、いわばビジュアル重視、演技力無視という傾向にあるのが原因であろう。イケメンや美少女をやたらと使い、数字だけを稼ぐが中身はスッカラカンという作品が多すぎる。
特に最近の邦画は目を覆いたくなるほどだ。イケメン系や芸人を使い、数字だけは出すが内容が全然着いていっていない。数十億の興収だがその中身は泣きたくなるほどの底辺映画の連続だ。
ではハリウッドはどうやって主演を決めているのか? それは言わずと知れたオーディションである。どんな名優であっても落ちることがある。
ブラット・ピットは「バックドラフト」のオーディションに落選している。トム・セレックは「インディ・ジョーンズ」を落選した。古くはロバート・デ・ニーロが「ゴッドファーザー」の選から漏れている。
ところが日本では監督自ら芸人やアニメ監督を声優に抜擢するような社会だ。いったい実力社会がどうなっているというのか。
考えてみれば二世タレントばかりが出てくるハリウッド映画など記憶にない。あるいは二世タレントもいるのかも知れないが、オーディションを経なくてはならないとなれば実力のないものは淘汰される。
日本はテレビをつければ二世タレントばかりが露出する。そんな連中がコネだけで主演をつかんでも所詮ハリボテである。
日本の映画がガラパゴス化している点は、こうした人選の方法にもあるのではないだろうか?